2016年10月17日月曜日

かもがた町家公園とアッケシソウ自生地の見学に行きました!



 全日本自治体退職者会(自治退)岡山県本部の秋季交流会が、2016年10月13日(木)
快晴の中、開催されました。

 岡山県各地から35名が「かもがた町家公園」に集合しました。

 町家公園の大室園長さんのあいさつ、山下組合長さんから全体説明がありました。

 その後、2班に分かれ「伝承館」、土蔵、伝統植物園などを見学しました。

 「伝承館」は、県下で最も古い貴重な町家で、岡山県指定重要文化財に指定されています。

 伝統植物園には、春の七草、秋の七草が植えてありました。日本の歴史公園100選に選ばれています。

 この公園が、ボランティア100人によって、整備、運営されていると聞いて驚きました。


 昼食は、「ぶしの花道」というところで、おいしい魚料理をいただきました。

 昼食後は、寄島の三郎島のアッケシソウ自生地に移動しました。

 途中、中四国初のラウンドアバウト(環状交差点)を通りました。
 
 アッケシソウ自生地では、黒川寄島支所長さんから、地元歓迎挨拶があり、アッケシソウを

守る会の作田会長さんから説明を聞き、案内していただきました。

 アッケシソウ祭りが、10月15日から始まる予定です。少し早かったせいか、アッケシソウが真っ赤なじゅうたんのようでなく、部分的に赤くなっていました。

 海水と真水が交わる・塩湿地に咲く塩性植物で、本州唯一のアッケシソウ自生地だそうで、

浅口市指定天然記念物になっています。

 数日、行くのが早かったようで、赤いじゅうたんが見れなかったのが残念でした。
 天候にも恵まれ、貴重なものを見学し、充実した一日を過ごしました。












2016年10月1日土曜日

のんちゃんの あの人はいま ⑯ ~清水 章司さん~



中国5県ハーレーミーティングを主催した

清水 章司さん
一九九六年(平成八年)退職
2016.8.27 真庭リバーサイドホテル訪問(野田雄一郎)



当会役員の清水さんから、8月27日~28日真庭リバーサイドホテルで、
中国5県ハーレーミーティングがあるとの情報をいただき、行ってきました。


[野田]          
中国5県ハーレーミーティングについて教えてください。


[清水]          
毎年、各県持ち回りでハーレーミーティングを行っています。
今年は、津山ハーレー会の当番で8月27日㈯から28日㈰真庭リバーサイドホテルで開催します。
四国4県に毎年行っている関係で四国からも招待します。約50~60台のハーレーが集合します。


[野田]          
清水さんは現在津山ハーレー会の会長をしておられます。
いつからハーレーに乗られているんですか。


[清水]          
23歳の時メグロ250㏄を購入し8年乗り、45歳の時ヤマハXV750㏄を購入。
49歳の時あこがれのハーレーダビッドソン1340㏄を購入し、正規オーナー(中国5県で140名余)登録し、毎年各県持ち回りで一泊ツーリングを数回楽しんでいます。
51歳の時、2台目を購入し、11年乗り、63歳の時、ハーレー3台目となるサイドカーを購入し、11年乗りました。73歳の時、ハーレー4台目となるサイドカーを購入し、78歳の現在も楽しんでいます。


[野田]          
ハーレー歴29年ですね。ところでハーレーミーティングはいつからやっているんですか。


[清水]          
24年前の平成5年8月末に第1回目を、三瓶山で開催し、津山ハーレー会として参加しました。
以後、毎年8月末に開催しています。


[野田]          
これまでのエピソードを教えてください。


[清水]          
皆さまもご存知のハーレーフェスティバルでは、平成5年に私ども津山ハーレー会が第1回を実質企画し、全国から約350台がエントリーしました。その後津山ハーレー会は退きましたが、参加者は年々増え、平成12年には1500台にもなったようです。

これからも体力の続く限り紳士のグループ、紳士のおもちゃ、バイクを愛しツーリングやバイク談義で気持ちを新鮮に刺激し、同じ趣味の友達と活動の輪を広げ家族の理解を得ていつまでも乗るつもりです。

これを読まれた方、あなたも仲間入りしませんか。
肉体も精神も10年は若返り、きっとあなたの人生観が変わると思います。



2016年9月26日月曜日

「尾道七佛めぐり」のご案内


新・相生橋 OBだより107号(2016年10月1日号)掲載

 熊本城について述べるが、姫路城と共に優美なる熊本城が、激震にも耐えて崩落しなかったことは幸いであった。ついては、築城に係る基本的な点を予備知識として記す▼築城は人海戦術であった。城普請(城頭(しろがしら))を頂点に、ピラミッド型の組織が作られ、各部所に進行管理する「目付役」がおかれて作られていった。中世(鎌倉以前)の城は小藩や貴族が各地で小規模の城を作ったので、野面積(のづらづみ)という土盛りと石を盛り上げて領主境を作り、城と称していた▼信長と秀吉の時代になると、豪族が合併し領地確保のためのシンボルとして、築城が盛んになり、それまでの山城から、戦いを行う拠点と家来の館としての役目を持つ城へと変化し、さらに町人屋敷を備える城郭が形成されていく▼城にとって最も重要で、心血を注がれたのが、天守を支える土台と石垣であった。土台は土中3mの深さの穴を掘り、その中に粘土質の土から雑草と雑木の根や種を取り除き、砂と小石と塩を混ぜて、30㎝位の層を作り、土穴を石と大木を使った「タタキ込み」という道具で固め、コンクリートのようにして積み上げた▼次に石垣であるが、①「打込接(うちこみはぎ)」で粗末な岩を重ね、隙間(すきま)に割石を詰め込む方法(初期鎌倉時代) ②「切り込み接」これは、石の側面を重ねて直線になるよう削り隙間にグリ石を入れる方法 ③「亀甲積(きっこうづみ)」これは、石を多面体に加工し横ズレに強い六面体の石を隙間のない状態に積み上げる方法。現存する石垣で、美しい曲線を描く石垣の多くにこの方法が用いられている。熊本・姫路城で多くこの方法がとられ、熊本城の本丸は30mの高さをもち、「武者返し」といって登ろうとする武士が途中で断念する石垣である▼江戸時代中期(慶長年間以降)になると各藩が築城を行うようになる。こうした中、傑出した築城の名武将・藤堂高虎(秀吉と家康に仕えた、近江の出)を「頂点とする「土工・石工(いしく)(石垣づくり)・建築工」などの集団が出現した。この集団は、各藩に招かれて築城に当たったが、分かっている数だけで46城といわれている。さらに藤堂は、17歳で始めて城を作り(秀吉の命で赤木城)宇和島・丸亀・姫路・熊本等生涯74歳で没するまで27城(最後は家康の命により上野城)を作り、さらに、三大将軍家光に命じられて、日光東照宮と徳川家の菩提寺寛永寺(浄土宗)までも普請頭として活躍した。なお、藤堂の子孫が彦根市に石工古代建築の伝統を継承している集団、甲良組と阿納組が残っている。ただしこの組員は、要請によって集められるので、組員は他に職についている。
(次号は新年にちなみ寿ぐことを記す。)

(H28・9記 コラム12編 日本コラムニスト倶楽部会員 R・T)

2016年8月24日水曜日

ぐりんぼう岡山 秋の休日保障相談会






 事前予約・お問い合わせは 

TEL:086-253-6031

ぐりんぼう岡山 担当:岡田

平日、午前9時から午後5時まで受け付けています。
 ぐりんぼう岡山ホームページ


2016年8月18日木曜日

「終活」のすすめ⑮「岡山葬儀事情③~ お葬式の在り方を考える~」

          
       
「終活」のすすめ⑮

「岡山葬儀事情③~ お葬式の在り方を考える~」

終活カウンセラー 川上 恵美子





最近はお葬式の簡素化が進み、葬式をしないでそのまま火葬場に行く

「直葬(ちょくそう/じきそう)や、火葬した後で遺骨を引き取らない 「0葬(ぜろそう)」と呼ばれる

葬儀を選ぶ人も増え、岡山でもこの形式選択する人が出て来ている。

理由としては、以前は「身寄りがない」が多かったが、最近は本人側の「残された家族に迷惑を

かけたくない、負担をかけたくない」や、家族側の「経済的に余裕がない」、

そして両側での「葬儀の必要性が分からないので不要」という理由もある。



昔の様に義理や見栄で葬式を行う必要はないが、規模の大小に関わらず、

故人を感謝の気持ちで送ることはいつの時代も大切な事である。



前回、私は「お葬式」は自分の為だけでなく「残された大切な家族」の為にも

必要だという考えを述べた。



いつも近くにいてくれた人がいなくなったら、あなたはどうなるだろうか。

「大切な人を亡くす」というのは心身共にとても辛く苦しい事である。

でも「死」という経験から、命の大切さを知り、これからの人生を考え、

死から始まる新しいつながりを得る事も出来るのだ。



葬式は「大切なつながり」を作るとても重要な場である。 

大切な人の事を知ってもらい、語り合い、想いを共有する事は、残された家族が

これからを生きていく上での希望となり、支えてくれる人との大切なつながりの場になるのだ。




その希望は、これからの人生の「生き方」「活き方」「逝き方」を考える 自分の力となる。



そして悔いなく見送れたことで、心穏やかに手を合わせ偲ぶ事ができ、

ご先祖様とのつながりも感じることができるのだ。



葬儀事情がめまぐるしく変化しても、葬儀の在り方を考え、

納得して見送る知識と考え方を持っておくことは大切である。





次回は「岡山葬儀事情④~お葬式で必要な知識とは~」です。

2016年7月15日金曜日

のんちゃんの あの人はいま ⑮ ~難波 卓志さん~



総社市でレンゲ米の栽培をしている

難波 卓志さん
2010年(平成22年)退職

2016.5.24自宅訪問(野田雄一郎)




難波さんは、組合では衛生医療評議会の議長をされていました。県では唯一の男性の管理栄養士として活躍されていました。私も同じ職場になったことがありましたが、釣りが趣味でよく釣の話をされていました。


[野田]          
難波さんは退職後、再就職せずに農業に従事されていますが、そのあたりのことを教えてください。


[難波]          
 親が農業をしていたので、休みには手伝いをしていました。農業を手伝っていても苦にならなかったので、退職後は人間関係の仕事から離れ、自然を相手に健康増進のためにも農業に従事することにしました。再就職で大学から誘いがありましたが、断りました。


[野田]          
レンゲ米を栽培していると聞いていますが。


[難波]          
 朝日米を栽培していましたが、3年前から低農薬で、レンゲを肥料にして作り出しました。レンゲ米は、春に田に咲いたレンゲを鋤き込むことで有機肥料とし、化学肥料を50%以上少なくして栽培する「特別栽培米」です。五重塔の前に畑が広がり、花が満開になる4月には「吉備路れんげまつり」が開かれ、市の花にも指定されています。


[野田]          
赤米というのがありますが、違うんですね。


[難波]          
 赤米とは違います。レンゲを肥料として使うことで窒素系化学肥料を通常の約3分の1に当たる20㎏程度(10アール当たり)に抑えています。低農薬で栽培します。
 吉備路朝日米特別栽培農産物生産組合顧問の中山さんといっしょに35戸・2営農組合で作っています。


[野田]          
安心・安全な米ということですね。


[難波]          
 今では市内の全小中学校へ給食用等に出しています。


[野田]          
レンゲ米はどのくらい栽培されているんですか。


[難波]          
 田んぼ1町4反(4200坪)を有機肥料・低農薬で栽培しています。あと野菜は1反半(450坪)の畑で約20種類作っています。総社市内では、山手ふれあいの里とそうじゃ地食べ公社に出荷しています。レンゲ米の赤字分を野菜で補ってなんとかやっています。


[野田]          
レンゲ米を作り出して3年ですが、今後どんどん作っていく予定は。


[難波]          
 機械が高いので、今のまま維持していきたいです。あと10年程でしょう。


[野田]          
ところで、釣りの方はどうされているんでしょうか。


[難波]          
 現職の時以上に行っています。今年すでに10回行っています。


[野田]          
どちらの方に行かれるんですか。


[難波]          
 金曜の夜行って、土曜日に帰ってきます。片道約350㎞の所です。愛媛県と高知県の境の武者泊にグレ釣りに行っています。


[野田]          
これから退職する人に対して伝えたいことがありますか。


[難波]          
 自分がしたいことをするべきでしょう。自分が楽しみながらできることをするのがよいでしょう。