2015年6月23日火曜日

新・相生橋 OBだより102号(2015年7月1日号)掲載

 新相生橋の前号は、選挙特集号のため休稿となった。「美しい日本シリーズ」3として「生きる」について予告していた。

 生きるとは、人の生活の営みや、生命を維持すること。と広辞苑にあるが、WHO憲章(昭和22年)第一に『健康は、身体的にも精神的にも社会的にも完全に良好な状態である。』とし、続けて『健康は無限に広がる可能性を含む』と定義づけている。OB諸氏の多くは、壮年期を過ごされ人生の最終期の老年期にあられると思う。時として、OB諸氏に会うと、此頃体力・気力が衰え、おまけに物忘れもするし、医者通いまでもと言われるが、同感である▼この会話を通して思い出される有名な手記がある。ルネサンス時代活躍した、画家・医学者・天文学者など優れた哲人だったレオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519年)が著した次の文章である▼『若き日に、老いたときの自分を考えて、老年の欠乏をおぎなうに足るものを青・壮年期に獲得しておけよ。そして、老年になって知徳力を必要とすることを知見したら、遅くなったと思わずに、すぐに学び始めよう。生命が輝くのも、人生初めがあるのも、終わりのためなり』と述べている▼我々みな老後に向かっているが、青壮年期の日々の積み重ねが、老年期につながっていることを教えている。同時に、老いても益々健康づくりに努めることは、全世界共通で永遠の命題である▼一方中国漢詩の一節に「白髪は、栄の冠なり」とある。長い人生において、ある時は喜びがあり悲しみもあり苦節を越えて人生行路を歩み続け、荒波にもまれつつ、豊かな経験を積み上げてきた人たちを重ねる老人像は、すばらしい冠であることを称える詩の一節である▼それは、富とか貧とか健とか病とかという外面的な条件(側面)にはよらず、良きそして美しい老人像は、一日にして成らずと教えているのである▼また、幼年・青年・成人・壮年の各期の体力・知力の個人差は、多くの場合差が少ないが、初老期から差が出始め、70年代の中老期、80年代の老年期(高年期)になるとその差が大きくなる。その差の縮小策は、兼好法師(鎌倉時代)が「徒然草」137段に著す「万のことも始め終りこそをかしけれ」(味わい深い)と諭すとおりである。このコラムの前号に記した「健康寿命はタシ算とヒキ算方式」のとおりでもある。終わりに、美しい加齢は、早寝・早起き・快眠・快食・快便・知徳を磨くことが秘訣と言えようか…。

(次号は「死」を予定)(H27・6月記 R・T)

2015年6月5日金曜日

「終活」のすすめ⑩~大切な人との出逢い~

「終活」のすすめ⑩ ~大切な人との出逢い~

 終活カウンセラー 川上 恵美子


「自分の葬儀を考えたい」。

40代の男性から電話があったのは一昨年の夏のこと。

余命宣告を受けていつどうなるか分からないという。

彼の歩んだ人生、思いなどたくさんの話を聞かせてもらった。

「なぜ葬儀の準備をしたいのか」と問うと、

「家族にきちんとお別れできなかったと後悔してほしくない」

との答えだった。

彼には妻と中学生の子供、そしてたくさんの友人がいた。

私は家族で話す場をつくるよう依頼し、後日、夫妻からお互いの気持ちや考えを聞いた。

 「これからを大切にしたいからこそ亡くなったときのことを考えたい」という彼に対し、「亡くなることを考えると怖くてたまらない」と妻。

この日、今までお互いが話し合うことを避けていた思いや考えを言葉にすることができた。

 その後は、家族ぐるみで彼の友人に会い、今後について話す時間も自然と増えたということだった。

 葬儀は昨年1月執り行われた。

参列した皆さんは彼から余命のことなども知らされていて、家族との話は夜通し続いた。

彼の思いを受け止め共有することで新しいつながりが生まれていた。



後日、彼が残したエンディングノートと家族宛ての手紙を読ませてもらった。

書かれた日付ごとに字体が違う。

日々体調も気持ちも変化していたようだ。

そこには彼の素直な思いがつづられていた。

「主人がこんなことを言ってくれるのは初めてです」と、妻は少し照れながら嬉しそうだった。



 最期に家族や友人とともに「死」に向き合った彼。

その生き方は周りの人にさまざまなことを教えてくれた。

「感謝の気持ちを忘れず生きてほしい」。私も彼のこの言葉を大切に生きていきたいと思っている。



 次回は「孫活(まごかつ)の必要性」をお伝えします。