2015年1月28日水曜日

倉敷支部の総会開催される

倉敷支部の総会は、2014年12月13日の土曜日に開催されました。

いつものつくしビルの7階のメロウサロン倉敷にて総会をし、その後は近所の

「今川」にて昼食、昼食後は、またメロウサロン倉敷にて雑談をして適当に散開しました。

つくしビルの所有者の山川さんのご厚意により、7階の1室を毎月第一土曜日の午後

2時から6時まで開放していただいています。

倉敷美観地区の入り口にある「鴎州ハイスクール」がつくしビルです。

倉敷に行かれる便がありましたら、どなたでも参加できますので、

鴎州ハイスクールの1階に入り、エレベーターで7階に上がって下さい。

飲み食い自由ですが、原則、自分の飲むものと食べるものは、行く途中の

ローソン等で自分で買って行くことになっています。











2015年1月21日水曜日

のんちゃんの あの人はいま ⑩ ~青木 丈夫さん~




青木 丈夫さん(65才)
2008年(平成20年)退職

2014.10.31 面談(野田雄一郎)





青木さんは
昭和四十三年に岡山県民生労働部国民年金課に採用後
平成二十年に社会保険庁退職まで約四十年間社会保険業務に従事されてきました。

第二の人生は、岡山年金相談センターです。
平成二十六年に街角の年金相談センターを退職され、
第三の人生として自宅で岡山障害年金請求サポートセンターを立ち上げられました。


[野田]          
これまでを振り返って、エピソード等ありましたら…

[青木]          
これまで一泊二日入院したのが一回だけで、名前のとおり元気でやってこれたことに感謝しています。
 仕事は、年金相談・年金給付関係の仕事を主にやってきました。そのことで、身を立てることが出来れば良いなと思っていました。


[野田]          
話は変わりますが、れお君との出会いを教えてください。(実はのんちゃんの愛犬が亡くなり失意に沈んでいる時「れお君のブログ」を見たのが、今回の面談のきっかけです。)

[青木]          
ブログのれお君は二代目のれお君です。初代は十二才と四ヶ月で亡くなりました。当時は、高梁社会保険事務所の所長をしており、毎日帰りが遅くなっていました。最後一ヶ月ぐらいは寝たきり状態になって妻が看護してめんどうをみてくれていましたが、れお君も寂しかったと思います。かわいそうなことをしました。

[野田]          
それを乗り越えられたきっかけは…

[青木]          
それは、次の犬がこないとダメでした。
 名前は、あおきれおです。前から読んでも後から読んでも「おれはれお」です。ブログも始めました。育児日記のようなものです。




[野田]          
「岡山障害年金請求サポートセンター」を立ち上げられたとのことですが…

[青木]          
自宅の一部を整えて開業しました。
 障害のある方の年金請求はテクニックがいります。そのお手伝いをしたいと思っています。

[野田]          
退職後、第二、第三の人生をスタートする人がたくさんいます。何か一言ありましたら…

[青木]          
悔いのない生活を。そしてぼけないように何かすることが大事だと思います。ブログをするのも、毎日書くので良いと思います。カメラも記録できますし楽しいので必要だと思います。それが励みになっています。


★★★リンク集に『れお君と庭の花』のブログをリンクしました。ぜひお読みください。★★★


「のんちゃんの あの人はいま」
シリーズ10 100号掲載

2015年1月19日月曜日

介護保険制度の改正等に伴う要請行動のため笠岡市を訪問しました。

 介護保険制度の改正等に伴う要請行動のため2015年1月19日(月)10:00に、笠岡市を訪問しました。
 現在、連合岡山高退連の役員が中心になり、岡山県下の27全市町村に要請行動を行っています。
 私も高退連の西部地域幹事として要請行動に参加してきました。
 昨年、11月14日(金)に栗山浅口市長と大内里庄町長に会いました。
 12月24日(水)に片岡総社市長と伊東倉敷市長に会いました。

要請は次の2点です。
1.「介護保険制度充実のための地域行動モデルに関する要求」
2.「低所得高齢単身女性問題に関する要求」

 笠岡市からは三島市長、塩飽市民生活部長、藤井健康福祉部長に対応頂き、
 高退連からは新見会長、山田事務局長、野田西部地域幹事の3名が訪問しました。

 現在、笠岡市では、高病原性鳥インフルエンザが発生し防疫作業の真っ最中です。
 そのような中、三島市長には約30分にわたり、丁寧に対応していただきました。
 
 要請行動の要求に対する回答は後日文書で頂くことにしました。


 

2015年1月8日木曜日

新・相生橋 OBだより100号(2015年1月1日号)掲載

寺田廣彦(哲学者)が「明治は遠くなりにけり」と言って昭和10年に亡くなった。その直前明治維新のために功績を残した偉出者を称えた著書を著した。相生橋を書いていた時、高倉健が逝ったニュースのあと、著名人の談話が流れた。その中に、同郷だった山田洋次と五木寛之のことばが印象に残った。本稿に記す「美しい日本」を描いていたからだ。山田は「高倉は戦後貧しい生活と複雑な家庭環境にあったが、決してそのことを明らかさず、本当の人間の生き方の美学を演技で表してくれた」。又五木は「昭和世相の陰と陽と無常さを、美しさに昇華させる役者だった。昭和も遠くなりにけりだね」と。今年は昭和90年にあたる正月を迎える。各位の昭和時代を回顧すると、どんな年輪だったでしょうか。

 美しい日本の特質について五項に分けて述べる。第一は、自然崇拝と自然回帰である▼日本における自然の概念は、奈良時代遣唐使が中国から移入した「中国仏典・老荘経」に求められる。その経の中に無為自然という古語がある。「自然とは人の手が加えられない自ずとあるがままの状態を指し、森羅万象すべての自然を崇拝・敬うことにルーツがあり以降日本人の美徳とされて人々に定着してきたのである▼このことを西洋思想と対比させるとよく理解できる。西洋の自然観は、自然を人間と神から切り離して存在させ、神・人間・自然という階層の底辺におかれている。人間は自然より優れていて、自然や動植物は人間にとって(相生橋 つづき)役立つためにあるのだとされてきた。一方神は人間を超越したものであって、犯してはならないものとされ、いわゆる全知全能神となったのである▼このことから西洋では一神教が流布したが、日本では自然の中に無数の神を見出し、それを敬い崇拝してきた。日本では一部例外はあったが宗教対立による戦いが起こらなかったのである。日本人は集落に鎮守の森を作り社を建て、集落辺地に墓を建立し祖先と共に暮らし、忌みの日には家に霊が回帰すると信じて奉事を行ってきた▼第二は「ものの哀れの美しさ」である。ルース・ベネディクト(米国)という社会学者が、昭和30年日本文化を記述した「菊と刀」という本を出した。これが各大学の一般教養の参考書として流行したことを思い出す。この中の一節に、日本文化の美しさとして、「哀れ」は日本人の精神の高さを示すものだと書いている▼哀れはものごとに感動して発する声や親愛・同情・悲しみを分かち合うことである。また、滅んでいくものに対する共感、時には死者への鎮魂、人の世の無常、弱者への慈愛など日本人の精神の高さを指摘している。西洋人が持つ強さ・偉丈・権力・契約社会・勝者などを価値とする思考とは異なった側面が美しい日本の特質と言えよう。

(次号は、③生④死⑤匠の美学を予定)(R・T)

2015年1月3日土曜日

2015年明けましておめでとうございます。

2015年になりました。
今年の最初の仕事は、福山誠之館高校の昭和43年卒業生の同窓会の幹事役です。
1月2日に福山ニューキャッスルホテルにて開催しました。
昨年の同日の同窓会に出席した時、来年は8組が当番だと、突然言われました。
その時の出席者は、私と稲村君の2人だけでした。ここでやめたら同窓会が続かなくなります。
その時から1年、準備を2人でやってきました。
昭和43年の同窓生は、9組まであり、1クラス50名です。総勢450名います。
その中で連絡先がわかる人は、約360名、亡くなっている人が32名であることが判明。
出席者のとりまとめ、会場の打ち合わせ、当日の資料作成等々をしました。
その結果、第35回目の「誠之館43会」の同窓会を何とかやりとげました。
当日は、46名の参加があり、2次会にも28名が参加し盛会のうちに終わりました。
来年は、3組の当番です。今年3月までに全員が65歳になります。
第3の人生に向かって何か企画をしようと3組の出席者がすでに打ち合わせをしていました。

同窓会の幹事役は大変だということがよくわかりました。35回続いている同窓会です。
また、大阪と東京の支部の同窓生も遠路はるばると出席していただきました。
幹事役の人は大変でしょうが、来年も同窓会が開催できるよう頑張って下さい。

ところで、昨年末の各種行事の報告が遅れています。順次、ホームページにアップしますので
ご期待ください。