2015年9月29日火曜日

与那国島に行ってきました。

ナガンヌ島は無人島、炎天下で焼き肉を食べました
久々ののんちゃん日記です。
実は、当会員のHさんの紹介で山陽新聞旅行社のツアーに行ってきました。

日本最西端の島「与那国島」と慶良間諸島・「ナガンヌ島」2泊3日の旅です。

「ドクター・コトー診療所」のロケ地が見れるということで即決しました。

9月23日に岡山空港から那覇空港まで行き、高速船で「ナガンヌ島」まで渡り

無人島ランチを食べて、高速船で那覇まで帰り、その日はホテルサン沖縄に泊まりました。


プロペラ機で那覇から与那国へ




9月24日は、朝6時15分ホテル出発です。プロペラ機で約1時間半かけて那覇空港から

与那国空港にたどり着きました。










クバの葉で包んだ弁当

空港からは、中型バスで運転手さんの案内で観光です。


ヨナグニ馬や牛を放牧している東崎、軍艦岩、立神岩を見学しました。

与那国島は、人口1581人、28、91K㎡ の小さな島で、体高120cmの小型の馬がいます。

人間の数より牛や馬の方が多いそうです。






古民家「佐久川家」で

ゆったり昼食(クバの葉弁当)と三線の音色を聴きました。

昼食後はナンタ浜、アヤミハビル館(日本最西端の自然)、60度の焼酎を作っている工場などを見学しました。







「ドクター・コトー診療所」のロケ地を見学。診療所がドラマのまま残っていました。

自転車も旗も白衣も受付もそのまま残っていました。






Dr.コトー診療所前にて



宿泊するホテル「アイランドホテル与那国」にバスで向かう途中、、港で「カジキマグロ」

の水揚げ風景をドラマそのままに偶然見ることができました。











ホテルで相撲を見ていると、「夕日が見える丘」に行きましょうと案内があり

バスで連れていってもらいました。

夕日が見える丘でビールを飲んでいる時、一瞬ですが夕日を見ることができました。









国境の地元料理






夕食は、郷土料理店「ビアガーデン国境」というところで、地元料理を食べました。

















9月25日(金)は与那国島の久部良港から、なんと高速半潜水艦に乗船し
「海底遺跡クルーズ」に行きました。











海底遺跡の様子です

船底からは確かに人工のものと思われる遺跡が見えました。

東西100メートル、南北30メートル、高さ25メートルの岩塊だそうです。

もし世界遺産になったら、各国から見にくるかも?と思いながら帰りました。








岡山空港に無事に帰りました


25日の午後8時40分、無事に岡山空港に帰りました。

与那国島にいる間は、気温30度以上の真夏日でしたが、私たちが帰った後、台風が直撃しました。

28日のニュースでは、最大瞬間風速81.1メートルが吹いたようです。


ドクター・コトー診療所や古民家「佐久川家」、アイランドホテル与那国、ビアガーデン国境、

Dr.コトー診療所の内部
牛や馬、やぎもいましたが、台風の直撃を受けてどうなっただろう、と心配です。
















与那国空港に行く途中です。運転手さんがここに
しか無い海の見えるトイレに案内してくれました。










2015年9月28日月曜日

全国高齢者集会開催

9月15日(火)今年も東京日比谷公会堂において、2015全国高齢者集会が開催されました。

全国から退職者が、2千名集結し午後1時開会、阿部会長の挨拶に始まり、菅井事務局長が

基調報告を行い全員で承認しました。

テーマは「生き生きと安心して暮らせる社会をつくろう」です。

特筆すべきは、連合岡山高退連を代表して、新見会長が福祉ボランティア活動の

訪問活動について現状を報告し会場から賞賛を受けたことです。

毎年、集会後は銀座をデモ行進し、東京駅で解散していましたが、

今年は、安保関連法案が強行採決されそうな国会の情勢を受けて

参加者全員で、国会に向け抗議と要請行動に出発しました。








2015年9月7日月曜日

のんちゃんの あの人はいま ⑫ ~土岐 隆信さん~



林源十郎商店記念室を作った

土岐 隆信さん(72才)
2003年(平成15年)退職

2015.8.13 林源十郎商店訪問
       (野田雄一郎)






大原美術館の前の今橋を渡り

中国銀行の角を左に50mほど歩くと

昭和9年建築の木造3階建ての

「林源十郎商店」があります。



[野田]          
土岐さん久しぶりです。井笠保健所以来です。
当時は衛生課があり薬剤師として働いておられたと思います。
県を退職後、記念室を開設された経緯を教えてください。


[土岐]          
県立病院退職後、株式会社エバルスでお世話になっていました。
建物が古くなりどう処分するかとなった時、倉敷市からまちづくりに使いたいという話が出ました。
この建物をいかに残すかいかに利用するかとともに、350年余り続いているエバルスの歴史、
そして倉敷のまちを育ててきた、林孚一・林源十郎を世の中の人に知ってもらいたいということで
記念室を開設しました。


[野田]          
倉敷のために活躍した2人の先人のことを教えてください。


[土岐]          
先人の一人は林家の第8代当主の林孚一です。
幕末から明治初めにかけ、一介の薬種屋でありながら、勤王思想を持ち勤王の志士を助け、
長州藩や水戸藩の人を自宅にかくまい、また、困っている人々の為に「続義倉」を立ち上げ、
倉敷県の設立に力を注ぎ、初代の窪屋郡長になり、土木、教育に力を注いだ人です。

もう一人は孚一の孫の第11代当主の林源十郎です。
新島襄を尊敬し、キリスト教徒となり、石井十次を応援し、大原孫三郎を石井十次に紹介し、
陰で孫三郎を全面的に支援した人です。薬種業のかたわら、キリスト教会の建設や、
幼児教育が重要であると考え竹中幼稚園を設置し、また、禁酒運動を行っています。

記念室の主な展示物としては、江戸末期の大きな薬箪笥、ここを訪ねてきた緒方洪庵や岸田吟香からの手紙、林製薬株式会社製造の医薬品やペリー来航時の風説書や似顔絵などがあります。


[野田]          
ところで、土岐さんの退職後の人生を教えてください。


[土岐]          
退職後、11年間医薬品関係の会社に常勤で勤務、その後はのんびりと思いましたが、
設立に携わった「林源十郎商店記念室」とのかかわりから、時々会社に行くこととなりました。
残りの日々は、小さな庭にいろいろな草花を咲かせ、お茶花をお茶席に届けたりしています。
また、国内外への旅行やドライブ、山歩きを楽しみ、県北へ民俗学調査に出かけたりと
毎日が過ぎていきます。

この林源十郎商店には、倉敷帆布のバッグや紙テープなどの小物のお店、世界で唯一のジーンズ生地のスーツのお店やピザのお店などがあり、庭にはいろいろな薬木、薬草を集めた薬草園があります。倉敷にお出かけの時は、お立ち寄りください。





林源十郎商店HP:http://www.genjuro.jp/

のんちゃんの あの人はいま ⑪ ~浅野 秋夫さん~


吉備大賀ハス保存会を発足させた

浅野 秋夫
さん(68才)
2006年(平成18年)退職

2015.6.12 庭瀬城址内堀と自宅の工房訪問
       (野田雄一郎)







[野田]          
二千年の時を超えて見事に開花した大賀ハス。
庭瀬は、植物学者大賀一郎博士の出身地。
庭瀬城址内堀にて浅野さんに会いました。
小舟に乗せていただき大賀ハスを目の前で見ました。
ここは、歴史を感じる場所ですね。
浅野さん、大賀ハス保存会を発足された経緯を教えてください。


[浅野]          
大賀ハスを庭瀬城址内堀に植付けられたのは平成九年のことでした。

当初は淡い紅色の美しい大輪の花を咲かせていましたが、年月がたつにつれ段々と大賀ハスとは違う白色や八重の蓮が咲くようになりました。

内堀の畔に建てられた説明看板とは違う蓮になっているのが気になり、系統維持した大賀ハスに植え替えたいと思うようになりました。

それには保存会を立ち上げて活動する方法が良いのではと考え、知人にその話をしていくうちに、少しずつ賛同してくれる人が集まり、平成二十四年四月に保存会を発足することが出来ました。


[野田]          
保存会を発足されて、大賀ハスの純粋種を咲かされたそうですね。


[浅野]          
平成二十五年四月に、系統維持した種レンコンを和歌山大賀ハス保存会さんから分根して頂くことができ、純粋な大賀ハスの育生が始まりました。

大賀ハスの管理・育成は四月の植替えに始まり、水やり、施肥、花後の花托の摘除、枯れ葉の摘除等、年間を通して作業があります。

今までに徳島県埋蔵文化財センター、吉備地区の方、市外の方にも分根しています。

今後も興味をもって育てたい人にお分けして、育生エリアを拡げていきたいです。

大賀博士が最初に咲かせたハスの花の直径は約25㎝、花びらの数は23枚、淡紅色の花びらが大きく開いたそうです。





浅野さんは、今後も大賀ハスの名所として多くの人に知ってもらいたいと語っています。

又、大賀ハスのことを調べていくうち、大賀一郎博士がたくさんの業績を遺され、人間性も素晴らしいことが分かり、これは多くの人に知ってほしいと思い、吉備小学校で博士のことや大賀ハスのことを話したり、吉備地区最大のイベント「まちかど博」にも出展しています。

地下五m に眠っていた実を開花させた二〇〇〇年ハスの育生拡大と吉備地区出身の
博士の業績を知ってもらうため、今後もいろんな機会を利用して活動していきます。

浅野さんは、撫川うちわ保存会の会員(清山)で
毎月第一・第三土曜日の午後、吉備公民館で講座を開いています。
また、自宅の工房で撫川うちわを作っておられます。

吉備公民館は現在建て替え中のため活動場所に変更があります。
詳しくは 吉備公民館のHP:http://www.city.okayama.jp/kouminkan/kibi/index.html 
【クラブ講座一覧】を御覧ください。

「のんちゃんの あの人は今」
シリーズ11 102号掲載