2014年12月9日火曜日

「終活」のすすめ⑧ ~ 家族とはじめる終活~

「終活」のすすめ⑧ ~家族とはじめる終活~               
 終活カウンセラー 川上 恵美子

人はいつか必ず「死」を迎える。
しかし以前は人生の終わりを考えることは「縁起でもない」と思われていた。
その言葉の背景には「何かあれば私達に任せておいて」という
家族や周囲からの強い信頼関係があったのだ。

もしもの事があっても家族や親戚、またはご近所や地域で手助けする。
これがあたりまえの事だったのだ。

しかし現代社会では、超高齢化・核家族化・地域社会との希薄化などで「縁起でもない」と
言ってくれた周囲の状況が少なくなり、「迷惑をかけたくない」という人が多いのが現状だ。

「死」を考えなくても安心な時代から、しっかり向き合い準備(終活)をする必要がある時代へと
変化したのである。

「終活」を考える時は決して一人で取り組むのではなく、
あなたの大切な家族と一緒にはじめて欲しい。

「家族とはじめる終活」の「家族」とは血縁関係だけでなく、友人、ご近所、かかりつけ医、ホームヘルパー、地域の民生委員や終活カウンセラーなどあなたが家族の様に信頼出来る人達に相談して欲しい。

漠然とした不安を抱えたままでなく、元気で余裕があるうちに具体的な対策方法を知り、どうすれば気持ち良くサポートを受けられるのか考えお互いに準備しておく必要がある。

その為には気軽に相談出来る場を地域社会でも広げていかなければならない。
相談を受ける側も、いつか必ず相談する側になるのである。
「終活」は自分の終わりの事を考えるだけではなく、お互い様の気持ちを通じて、
そこから生まれる新しいつながりを作る場でもあるのだ。




 次回は「地域とのつながり」についてご紹介します。

2014年12月1日月曜日

秋のバス旅行;羅漢寺・青の洞門・筋湯温泉1泊2日の旅に行ってきました。

2014年11月21日(金)~22日(土)に恒例の退職者会の秋の1泊旅行に行ってきました。
泊まりは、大分県の筋湯観光ホテル「九重悠々亭」です。
ホテルでは宣伝部長の「エンジェル君」が、待っていてくれました。



総勢38名で、バスは岡山駅を予定通り出発しました。
高速道に乗り、バスはひたすら西に向けて走ります。
途中、壇ノ浦PAで弁当を積み込み、お昼はバスの中で食べます。

午後2時、やっと青の洞門に到着しました。
菊池 寛の「恩讐の彼方に」に想いをはせながら、約1時間ほど散策をしました。

2014年11月12日水曜日

アクセスカウンターが4000を超えました。

アクセスカウンターがついに4000を超えました。
11月7日に第3回幹事会をサンピーチ岡山でお食事会を兼ねて開催しました。
11月10日には、連合岡山高退連西部地協第2回グラウンドゴルフ大会に5名参加しました。

11月13日から14日は、全日本自治退第43回定期総会が広島であります。これには、
代議員を含めて4名が参加します。

2014年10月16日木曜日

「四国八十八ヶ所霊場めぐり」 ついに結願しました。

ある日、何気なく「そうだ!心の旅に出よう!」と企画した四国八十八ヶ所霊場めぐりも2年半かけて終了しました。
思い返せば、第1回目は2012年(平成24年)8月26日(日)気温35度を超える猛暑の中、
バス2台でお参りしました。

1号車は、かすみ橋東の日の出運輸駐車場を出発、2号車は美咲町錦織の有本観光車庫を出発。第1回目は、1号車は16人、2号車は18人で総勢34人の参加でした。それぞれの号車ごとに
世話人さんを決めました。

2012年は、4年に1度のうるう年で、逆打が弘法大師に出会えるかもしれない縁起のよい年。
ということで、88番の大窪寺から83番の一宮寺までお参りしました。
最初にお参りした大窪寺の門前に「お遍路さんの店」があり、お遍路用品を売っていました。
お昼は、「郷屋敷」にてお昼限定の和里子を注文。わんこ型のおわんにうどんが入って、なんとおかわり自由でした。

85番の八栗寺には、ケーブルに乗って行きました。84番の屋島寺には、すぐ隣に水族館がありました。83番の一宮寺には悪人が頭を入れると抜けなくなるという石のほこらがありました。頭を入れてためしている人もいました。

どこのお寺に行っても、弘法大師の力強い清心な気を感じました。
また、お接待というのがあります。お接待を受けるとなぜか気持ちが変わってきます。
さらに、すごい達筆で書かれた納経帳を見て感動しました。
弘法大師が修行してから1200年が経っているそうですが、境内の大木や古い石を見ていると当時の雰囲気が漂ってきます。

第1回目は、後から考えると少し楽な行程でした。これに味をしめて次は1番から順に回ろうと
いうことになりました。

2回目は、9月29日(土)に第1番霊山寺から第6番安楽寺までお参りしました。

第3回目は、10月27日(土)に第7番十楽寺から第11番藤井寺と第17番井戸寺をお参りしました。

すでに3回目の巡拝ともなると参拝者それぞれがお参りの手順もマスターし、スムーズな参拝。

感動は、、11番藤井寺でした。住職の特別なご厚意でお説教を聞いた後、天井に描かれた
雲龍を拝見しました。手をたたくと龍が鳴いたように聞こえました。

第17番の井戸寺では、弘法大師が杖で掘ったと伝えられる井戸に顔を映して延命を確認。





第2回目と3回目は徳島県の東の方の同じ道を何度も通ったようです。昼食は、アサン枝の館というところでした。そこに藍染めの肩からさげる布の袋を売っていました。なぜか買ってしまい、結願までその袋をさげてお参りしました。

第4回目は、12月16日(日)に、第12番焼山寺から第16番観音寺をお参りしました。

第5回目は、2013年3月17日(日)に、第18番恩山寺から第20番鶴林寺をお参りしました。

この日は、徳島の小松島市で遠いため3ヶ所しか回れませんでした。


 


第6回目は、2013年(平成25年)6月23日(日)に、第60番横峰寺から第64番前神寺をお参り。
なぜか、西条市内を先に済ませました。これから先、道後温泉に1泊し周辺をお参りすると
どうしてもこの4ケ寺が残るので、先に済ませようという訳です。
このころから、参加者が口コミで微増し、毎回、40名から45名になりました。


第7回目は、2013年9月19日(木)から20日にかけて、あしずり温泉に1泊しました。
第35番清瀧寺から第43番明石寺をお参りしました。土佐市から四万十町、宇和島市を一気に
済ましました。





第8回目は、2013年10月27日(日)に、第21番太龍寺から第23番薬王寺をお参りしました。
徳島県阿南市、美波町のこの3ヶ寺を済まさないと先に進めません。

第21番の太龍寺は標高600メートルの太龍寺山の頂上にあり、江戸時代の諸堂が立ち並んで
います。ロープウェイを利用し山頂にいきます。

第22番の平等寺には、万病にきく「弘法の霊水」があります。

第23番の薬王寺には、厄坂:女坂33段、男坂42段、還暦厄坂60段があります。

第9回目は、2013年12月8日(日)から9日(月)にかけて、土佐御苑に1泊しました。
第24番最御崎寺から第34番種間寺をお参りし、室戸市から高知市周辺を一気に済ましました。



第24番最御崎寺は室戸岬の先端にあります。最御崎寺から、太平洋の海と青い空を見た時、  弘法大師がでこの地で「空海」と改名されたのが、何となくわかりました。






















ここまでで、徳島・高知をすべて廻り、残すは愛媛・香川になりました。
35度を超える猛暑の中、始めた霊場めぐりですが、なぜか天候にも恵まれ無事に半分以上を
廻りました。

約2年かかりました。その間、病気になった人、連れ合いを亡くされた人、連れ合いの看護等々
いろいろな状況の中、それぞれの想いを胸に秘め「心の旅」を続けました。平均年齢70歳以上の
高齢者にとっては、この2年は、まさに駆け抜ける青春ではなかったでしょうか。
私自身、まさに事務局長を引き受けての2年でした。その間、多くの人に出会い、また支えられて
なんとかやってこれたと思っています。

第10回目は、2014年(平成26年)は、3月16日(日)から17日(月)に道後温泉に1泊し、第44番大宝寺から第59番国分寺を一気にお参りしました。

第11回目は、6月29日(日)に、第65番三角寺から第70番本山寺をお参り。

第12回目は、7月13日(日)に、第71番弥谷寺から第77番道隆寺をお参り。

13回目は、9月27日(土)に、第78番郷照寺から第82番根来寺をお参り。

「四国八十八ヶ所霊場めぐり」  ついに結願しました。

ここまで、2年半ほどかかりましたが、12月6日(土)から7日(日)にかけて、高野山の西室院に
1泊します。奥の院に参拝し満願を迎える予定です。














2014年10月9日木曜日

愛犬マックが教えてくれたもの(のんちゃん日記)

愛犬マックの突然の死から2週間が経ちました。
その間、私の周りでは、史跡めぐり、霊場めぐり、OBだよりの発送作業、町内会の大掃除と懇親会、真鍋島での食事会、県北交流会の段取り等々、日常の日々が過ぎていきました。
心に大きな空洞ができていても、日常生活は過ぎていくのです。
朝起きると足元にマックの気配を感じます。家に帰るとマックの気配を感じます。お出かけの時もいつもマックの気配を感じます。
昨日(2014年10月8日)は、皆既月食でした。月が地球の影に入り見えなくなって、赤い球体になり、満月が再び現れました。
その時、私なりに突然、理解したことがあります。
霊場めぐりの時の般若心経の1節に「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」と唱えますが、「空」ってなんだろうと、ずっと考えていました。
月は見えなくなっても、無くなったのではありません。無くなってもそこにあるのです。ただ見えないだけなのです。見えなくなっても世間は何も無かったように過ぎていきます。
これが、「空」の存在だと。
マックは亡くなりましたが、空の中にいるのです。そして何時も私のそばにいるのです。
空は永遠です。目に見えなくてもあるのです。だから、マックの存在を何時も感じるのです。
今は、妻と二人暮らしです。マックのためにも、これからは妻と楽しい思い出をたくさん作って空の世界に行きたいと思います。
私自身の生き方も、変えます。自分で正しいと思ったことを自分なりにやっていくつもりです。たくさんの仲間と楽しい人生を過ごしたいと思います。
心の大きな空洞も、空の月も、宇宙そのものも、私自身も、すべて「空」なのです。見えても見えなくても、存在するのです。時間と空間を超えて常に存在するのです。
私なりの解釈ですが、こんなことを教えてくれたマック、ありがとう。
大きな暗い空洞を、光の空洞に変えて生きていきます。

前回の投稿を見て、たくさんの方から励ましのメールやお手紙をいただきました。ありがとうございました。

その一つを紹介します。このメールは私の支えになりました。

ある絵本の話です。
犬は亡くなると、あの世の世界のある橋の上で飼い主を待っているそうです。
飼い主が来てくれるのをジッと待って、いつも見守っているのだとか。
だから、また会えるんです。
思い出すと辛い事もあると思いますが、絶対会えるんです。

私も3年前に愛犬を亡くしましたが、時々、側にいる様な感覚があります。
朝起きると、足元にいたようなそんな感覚が。

たくさん思い出してあげてください。その時、泣いても笑ってもどっちでも良いと思います。
思い出した時、笑顔になればマックも浮かばれると思います。



2014年10月2日木曜日

愛犬マックの突然の死(のんちゃん日記)

我が家の愛犬マックが突然に亡くなりました。でも、死体を確認できませんでした。

そのことが、ずっと私の心に空洞を作っています。ネクスコ西日本岡山に遺体を引き取りに

行きました。言われたとおりに引き取りに行ったんですが、なぜかゴミとして処分された後でした。

9月25日(木)午後6時半ごろ、散歩に出かけるちょっとした隙に出ていきました。探したが暗闇の

中、見失ってしまいました。その夜も翌日の朝も探したがみつからず、役場と警察、動物愛護センタ

ーに連絡をしました。

26日(金)、山中一揆の史跡めぐりの最中、お昼を食べている時、動物愛護センターから電話が

あり、鴨方インターの付近で、プードル・首輪なし・雄 の遺体を発見、山陽高速道の岡山インター

出口で預かっているとのこと。

すぐに岡山インター出口のネクスコ西日本の事務所に電話をした。担当者の方が、土・日は休み

なので、冷凍庫で保管しましょうか、月曜日の午前中に確認に来られますか、ということなので

お願いしました。

状況からして、マックに間違いないということで、ペットピアに犬の葬儀の手続きをし、29日(月)

朝9時にこれから行きますと、担当者に連絡して午前10時に、岡山インターを出てすぐ左にある

ネクスコ西日本岡山の事務所に行き、担当者の方と冷凍庫に行きました。

冷凍庫を開けると中はからっぽで、マックの死体がありませんでした。

担当者の方も何でいないのか、驚いている様子です。

ちょっと待って下さい、と言われ10分ほどほうっておかれました。

担当者の上司の方と2人が来て、「申し訳ありません。8時30分にゴミ回収車が来て、焼却場に

運んでしまいました。」とのこと。

「すぐ、ゴミ回収車の運転手の携帯に電話して、どこにいるか聞いてくれ。すぐに追いかけるから。」

とお願いしました。それから20分ほどして、外にほうっておかれたので、事務所に行き、「自分で

運転手に電話するから番号を教えてほしい」と、つい大きい声で言ったとたん、奥から偉そうな人

が出てきて、外に出されました。担当者の言われるとおりにして、犬を迎えにきたら、ゴミで処分

されたのはどういうことかと、説明してほしいと、言うと何も言わずに中に入っていきました。

その後は、2階の事務所に連れていかれ、今、運転手に連絡してるが、連絡がとれないとの

説明を繰り返されました。

その間、冷凍庫になぜわかるように張り紙をしなかったのか、とか業者が8時30分にゴミの

回収に来ることを知らなかったんか、とか業者との連携がとれてないではないか。

等々、話しをしている内に11時になってしまいました。運転手はいつ帰るかと聞くと、12時

ごろとのこと。クリーンセンターに車両の番号を連絡して何時に入ったか確認したかと聞くと

教えてくれなかったとのこと。直接、クリーンセンターに電話すると入った時間はわかります

とのこと。すぐに担当者にクリーンセンターに電話させました。

10時に業者がクリーンセンターに入ったことがわかりました。

ゴミとして処分されてしまった、愛犬マック?(死体を確認できていないため?が付く)

これ以上、ここにいてもどうしようもないので「すみません」と言う担当者とその上司に見送られ

ネクスコ西日本岡山を後にしました。

ペットピアには、遺体をゴミで処分されたことを伝え、葬儀を中止し、そのまま家に帰りました。

ブラシに毛が少し残っていましたので、毛を埋めてやりお墓を家の前の山の中腹に建ててやり

ました。

御嶽山の噴火のニュースを見るたびに、涙がでます。胸に大きな空洞ができたようで

何も手につかない今日このごろです。

どこにも言うことができないので、のんちゃん日記に書きました。

追 記;私がネクスコ西日本岡山の事務所で話しをしていたのは、1時間ほどでした。その間

妻は、マックが入っていた冷凍庫の前で茫然自失の状態だったようです。

私が、事務所を出ると、冷凍庫の前で泣いていました。高速パトの隊員さんからこんな話しを

聞いたそうです。「木曜日の晩、鴨方インターの中で犬がうろついていた。探したが見つからなかっ

た。金曜日の朝10時頃、鴨方インター近くで横たわっている犬を発見し、まだ息があったので、

動物愛護センターに搬送中、息を引き取った。愛護センターに連絡しこちらに運んできた。」

動物愛護センターからは、ネクスコ西日本岡山の担当者の名前も教えていただき、すぐに連絡を

とりました。担当の方からは、詳しい状況は教えてもらえませんでした。おそらく担当の方が

冷凍庫を開けたのは、私たちが引き取りに行った時だけかもしれません。高速ではねられた、

冷凍庫で保管、と言う言葉で、変わり果てたマックを想像してしまいました。その時の状況を

少し説明してもらえてたら・・・・対応の仕方が違っていたかも、と残念です。

 マックは、車が大好きで、私たち夫婦が買い物に行く時は必ずついてきます。車に乗ると

安心して景色を眺めたり、くつろいで寝ていました。おそらくパトにのせられた時に安心して

息を引き取ったんではないかと想像します。

 




2014年9月18日木曜日

全国高齢者集会と銀デモに行ってきました。翌日昼食時に地震があり怖かった!

敬老の日、9月15日、岡山を出発し退職者会の4人で東京の日比谷公会堂の全国高齢者集会に参加しました。12時半、日比谷公園内のやぶ蚊に脅かされながら会場に到着しました。
会場は、約2千人の高齢者で溢れていました。
 今朝の新聞に、65歳以上 最多3296万人、総務省推計 8人に1人は75歳以上
と載っていました。この会場には最低でも250人は75歳以上の人がいるはずです。
回りを見渡すと、ほとんどが、70歳以上の人のようです。

                                                    
集会は、あいさつ、基調講演、地域からの報告と続き、集会アピールの後、団結がんばろう三唱で
第一部を終わり、第2部は 昨年までの体操ではなく、みんなで歌おうということで 日音協の方の歌唱指導により大声で歌を歌い、閉会しました。何回も何回も「花は咲く」を歌いました。      他に、「故郷」「芭蕉布」「決意」を歌いました。決意は日本国憲法前文及び9条からを歌にしたものです。                                                         

集会の後、いよいよ銀座デモ行進です。5列に並んでシュプレヒコールをさけびながら日比谷公会堂から銀座の大通りを東京まで行進しました。メインスローガンは「生き生きと安心して暮らせる社会にしよう!」です。


翌16日は、スカイツリを見に行きました。お昼に浅草の米久ですき焼きを食べようとした、その時
突然、震度4の地震がありました。15秒ほど揺れが続き、窓ガラスがガタガタ鳴り生きた心地がしませんでした。再度、揺れがあるかもしれないと、恐る恐る食事をして、東京を後にしました。





                                               
            
               

2014年9月17日水曜日

新・相生橋 OBだより99号(2014年10月1日号)掲載

コラムの原稿が迫ると、陶淵明の漢詩(及時當勉励歳月不待人:歳月は人の都合にかかわらず過ぎていく。ならば自ら努めよ。)を重ねて思う。コラムの読み人や、恙なくおくらしでありや、なしやとも思う。この文を書いている今、広島の災難のニュースが連日流布され、自然の猛威に驚くが、この災難は日本の災難史に残る稀有な事象となるであろう。けだし、アテネの都市国家を創った哲人ソクラテスとプラトンは「都市は人間が創り、自然とコミュニティ(共同社会)は、神が創った。自然には人為を加えず崇拝しむやみに侵さず」(BC427年・国家都市概論)と著している。日本の宗教観でも、山岳河岩森には、神・仏の霊が宿り、これを敬いいたずらに諫めると、タタリがくると説かれてきた。

 社会という言葉は、日常よく見・聞き慣れた言葉である。その語源を辿ると「すべてを結合する」とある(福武直編・社会学辞典)。続けて、明治維新西洋文化と共に日本にもたらされ、福沢諭吉が「仲間・交際・世態・地区・会社」と定義した。いずれにしても、人間の生活を基盤として、そこに住む人々の共通の利便性を求めるための集まりであると訳した。1950年矢掛町出身の社会学者福武直は、これを「結社(アソシエーション)」と「地域(コミュニティ)」に分けて定義した。これが現在集団の普遍的概念として用いられている。▼県職労は、どちらに属すかといえば、前者である。県職労の発足は、1946年12月20日に創立された。初代委員長・秋山勇は創立総会で、「お互い食べられない。着物もない生活は苦しい。思い切ってヤミ屋になろうか。県庁に残ろうか。ヤミ屋の盛況を見ながら考える」と、組合のスタートは「貧困脱出」からだった。と県職労50年史の巻頭言にある。▼県職労は、今日まで労働組合の基本的任務である労働組合の改善に取り組む一方、地方自治に関わる労働団体として、地方自治体本来の在り方を求めて、各種の取り組みを行ってきた。現在の組合活動は、経済社会の停滞によって、これまでの進路舳を変える時に直面していると聞く。▼今の社会を俯瞰すると「社会病理現象」(人口逆構造・貧困・犯罪・財政難・社会保障弱・共同社会解体・個人の孤立化・家族崩壊等)が進展しつつあり、冷えた社会構造が見えてくる。▼国も地方も財に乏しく、職員の減員と機構改革(悪)を行い、特に市町村合併によって行政サービス低下の声が聞かれる。一方で農協・郵便局が消え年寄りの嘆きが聞こえている。▼県職員数の推移は表のとおりであり、20年まで四次の削減が行われた。また、給料諸手当もカットされたが、公僕の精神によってジット我慢に耐えて今日を迎えているとのこと。▼また、ほとんど文書なる情報は消え去り、IT化により机を並べる隣の職員が何をどう取り組んでいるか知らないでコト・ソトが進行しているという。かつて、「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」を旨とした頃の「県庁家族社会」は、必然的に幻想となったと聞いた。

(次号は新年にちなみ「美しい日本の特性」)(R・T)

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