2014年10月16日木曜日

「四国八十八ヶ所霊場めぐり」 ついに結願しました。

ある日、何気なく「そうだ!心の旅に出よう!」と企画した四国八十八ヶ所霊場めぐりも2年半かけて終了しました。
思い返せば、第1回目は2012年(平成24年)8月26日(日)気温35度を超える猛暑の中、
バス2台でお参りしました。

1号車は、かすみ橋東の日の出運輸駐車場を出発、2号車は美咲町錦織の有本観光車庫を出発。第1回目は、1号車は16人、2号車は18人で総勢34人の参加でした。それぞれの号車ごとに
世話人さんを決めました。

2012年は、4年に1度のうるう年で、逆打が弘法大師に出会えるかもしれない縁起のよい年。
ということで、88番の大窪寺から83番の一宮寺までお参りしました。
最初にお参りした大窪寺の門前に「お遍路さんの店」があり、お遍路用品を売っていました。
お昼は、「郷屋敷」にてお昼限定の和里子を注文。わんこ型のおわんにうどんが入って、なんとおかわり自由でした。

85番の八栗寺には、ケーブルに乗って行きました。84番の屋島寺には、すぐ隣に水族館がありました。83番の一宮寺には悪人が頭を入れると抜けなくなるという石のほこらがありました。頭を入れてためしている人もいました。

どこのお寺に行っても、弘法大師の力強い清心な気を感じました。
また、お接待というのがあります。お接待を受けるとなぜか気持ちが変わってきます。
さらに、すごい達筆で書かれた納経帳を見て感動しました。
弘法大師が修行してから1200年が経っているそうですが、境内の大木や古い石を見ていると当時の雰囲気が漂ってきます。

第1回目は、後から考えると少し楽な行程でした。これに味をしめて次は1番から順に回ろうと
いうことになりました。

2回目は、9月29日(土)に第1番霊山寺から第6番安楽寺までお参りしました。

第3回目は、10月27日(土)に第7番十楽寺から第11番藤井寺と第17番井戸寺をお参りしました。

すでに3回目の巡拝ともなると参拝者それぞれがお参りの手順もマスターし、スムーズな参拝。

感動は、、11番藤井寺でした。住職の特別なご厚意でお説教を聞いた後、天井に描かれた
雲龍を拝見しました。手をたたくと龍が鳴いたように聞こえました。

第17番の井戸寺では、弘法大師が杖で掘ったと伝えられる井戸に顔を映して延命を確認。





第2回目と3回目は徳島県の東の方の同じ道を何度も通ったようです。昼食は、アサン枝の館というところでした。そこに藍染めの肩からさげる布の袋を売っていました。なぜか買ってしまい、結願までその袋をさげてお参りしました。

第4回目は、12月16日(日)に、第12番焼山寺から第16番観音寺をお参りしました。

第5回目は、2013年3月17日(日)に、第18番恩山寺から第20番鶴林寺をお参りしました。

この日は、徳島の小松島市で遠いため3ヶ所しか回れませんでした。


 


第6回目は、2013年(平成25年)6月23日(日)に、第60番横峰寺から第64番前神寺をお参り。
なぜか、西条市内を先に済ませました。これから先、道後温泉に1泊し周辺をお参りすると
どうしてもこの4ケ寺が残るので、先に済ませようという訳です。
このころから、参加者が口コミで微増し、毎回、40名から45名になりました。


第7回目は、2013年9月19日(木)から20日にかけて、あしずり温泉に1泊しました。
第35番清瀧寺から第43番明石寺をお参りしました。土佐市から四万十町、宇和島市を一気に
済ましました。





第8回目は、2013年10月27日(日)に、第21番太龍寺から第23番薬王寺をお参りしました。
徳島県阿南市、美波町のこの3ヶ寺を済まさないと先に進めません。

第21番の太龍寺は標高600メートルの太龍寺山の頂上にあり、江戸時代の諸堂が立ち並んで
います。ロープウェイを利用し山頂にいきます。

第22番の平等寺には、万病にきく「弘法の霊水」があります。

第23番の薬王寺には、厄坂:女坂33段、男坂42段、還暦厄坂60段があります。

第9回目は、2013年12月8日(日)から9日(月)にかけて、土佐御苑に1泊しました。
第24番最御崎寺から第34番種間寺をお参りし、室戸市から高知市周辺を一気に済ましました。



第24番最御崎寺は室戸岬の先端にあります。最御崎寺から、太平洋の海と青い空を見た時、  弘法大師がでこの地で「空海」と改名されたのが、何となくわかりました。






















ここまでで、徳島・高知をすべて廻り、残すは愛媛・香川になりました。
35度を超える猛暑の中、始めた霊場めぐりですが、なぜか天候にも恵まれ無事に半分以上を
廻りました。

約2年かかりました。その間、病気になった人、連れ合いを亡くされた人、連れ合いの看護等々
いろいろな状況の中、それぞれの想いを胸に秘め「心の旅」を続けました。平均年齢70歳以上の
高齢者にとっては、この2年は、まさに駆け抜ける青春ではなかったでしょうか。
私自身、まさに事務局長を引き受けての2年でした。その間、多くの人に出会い、また支えられて
なんとかやってこれたと思っています。

第10回目は、2014年(平成26年)は、3月16日(日)から17日(月)に道後温泉に1泊し、第44番大宝寺から第59番国分寺を一気にお参りしました。

第11回目は、6月29日(日)に、第65番三角寺から第70番本山寺をお参り。

第12回目は、7月13日(日)に、第71番弥谷寺から第77番道隆寺をお参り。

13回目は、9月27日(土)に、第78番郷照寺から第82番根来寺をお参り。

「四国八十八ヶ所霊場めぐり」  ついに結願しました。

ここまで、2年半ほどかかりましたが、12月6日(土)から7日(日)にかけて、高野山の西室院に
1泊します。奥の院に参拝し満願を迎える予定です。














2014年10月9日木曜日

愛犬マックが教えてくれたもの(のんちゃん日記)

愛犬マックの突然の死から2週間が経ちました。
その間、私の周りでは、史跡めぐり、霊場めぐり、OBだよりの発送作業、町内会の大掃除と懇親会、真鍋島での食事会、県北交流会の段取り等々、日常の日々が過ぎていきました。
心に大きな空洞ができていても、日常生活は過ぎていくのです。
朝起きると足元にマックの気配を感じます。家に帰るとマックの気配を感じます。お出かけの時もいつもマックの気配を感じます。
昨日(2014年10月8日)は、皆既月食でした。月が地球の影に入り見えなくなって、赤い球体になり、満月が再び現れました。
その時、私なりに突然、理解したことがあります。
霊場めぐりの時の般若心経の1節に「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」と唱えますが、「空」ってなんだろうと、ずっと考えていました。
月は見えなくなっても、無くなったのではありません。無くなってもそこにあるのです。ただ見えないだけなのです。見えなくなっても世間は何も無かったように過ぎていきます。
これが、「空」の存在だと。
マックは亡くなりましたが、空の中にいるのです。そして何時も私のそばにいるのです。
空は永遠です。目に見えなくてもあるのです。だから、マックの存在を何時も感じるのです。
今は、妻と二人暮らしです。マックのためにも、これからは妻と楽しい思い出をたくさん作って空の世界に行きたいと思います。
私自身の生き方も、変えます。自分で正しいと思ったことを自分なりにやっていくつもりです。たくさんの仲間と楽しい人生を過ごしたいと思います。
心の大きな空洞も、空の月も、宇宙そのものも、私自身も、すべて「空」なのです。見えても見えなくても、存在するのです。時間と空間を超えて常に存在するのです。
私なりの解釈ですが、こんなことを教えてくれたマック、ありがとう。
大きな暗い空洞を、光の空洞に変えて生きていきます。

前回の投稿を見て、たくさんの方から励ましのメールやお手紙をいただきました。ありがとうございました。

その一つを紹介します。このメールは私の支えになりました。

ある絵本の話です。
犬は亡くなると、あの世の世界のある橋の上で飼い主を待っているそうです。
飼い主が来てくれるのをジッと待って、いつも見守っているのだとか。
だから、また会えるんです。
思い出すと辛い事もあると思いますが、絶対会えるんです。

私も3年前に愛犬を亡くしましたが、時々、側にいる様な感覚があります。
朝起きると、足元にいたようなそんな感覚が。

たくさん思い出してあげてください。その時、泣いても笑ってもどっちでも良いと思います。
思い出した時、笑顔になればマックも浮かばれると思います。



2014年10月2日木曜日

愛犬マックの突然の死(のんちゃん日記)

我が家の愛犬マックが突然に亡くなりました。でも、死体を確認できませんでした。

そのことが、ずっと私の心に空洞を作っています。ネクスコ西日本岡山に遺体を引き取りに

行きました。言われたとおりに引き取りに行ったんですが、なぜかゴミとして処分された後でした。

9月25日(木)午後6時半ごろ、散歩に出かけるちょっとした隙に出ていきました。探したが暗闇の

中、見失ってしまいました。その夜も翌日の朝も探したがみつからず、役場と警察、動物愛護センタ

ーに連絡をしました。

26日(金)、山中一揆の史跡めぐりの最中、お昼を食べている時、動物愛護センターから電話が

あり、鴨方インターの付近で、プードル・首輪なし・雄 の遺体を発見、山陽高速道の岡山インター

出口で預かっているとのこと。

すぐに岡山インター出口のネクスコ西日本の事務所に電話をした。担当者の方が、土・日は休み

なので、冷凍庫で保管しましょうか、月曜日の午前中に確認に来られますか、ということなので

お願いしました。

状況からして、マックに間違いないということで、ペットピアに犬の葬儀の手続きをし、29日(月)

朝9時にこれから行きますと、担当者に連絡して午前10時に、岡山インターを出てすぐ左にある

ネクスコ西日本岡山の事務所に行き、担当者の方と冷凍庫に行きました。

冷凍庫を開けると中はからっぽで、マックの死体がありませんでした。

担当者の方も何でいないのか、驚いている様子です。

ちょっと待って下さい、と言われ10分ほどほうっておかれました。

担当者の上司の方と2人が来て、「申し訳ありません。8時30分にゴミ回収車が来て、焼却場に

運んでしまいました。」とのこと。

「すぐ、ゴミ回収車の運転手の携帯に電話して、どこにいるか聞いてくれ。すぐに追いかけるから。」

とお願いしました。それから20分ほどして、外にほうっておかれたので、事務所に行き、「自分で

運転手に電話するから番号を教えてほしい」と、つい大きい声で言ったとたん、奥から偉そうな人

が出てきて、外に出されました。担当者の言われるとおりにして、犬を迎えにきたら、ゴミで処分

されたのはどういうことかと、説明してほしいと、言うと何も言わずに中に入っていきました。

その後は、2階の事務所に連れていかれ、今、運転手に連絡してるが、連絡がとれないとの

説明を繰り返されました。

その間、冷凍庫になぜわかるように張り紙をしなかったのか、とか業者が8時30分にゴミの

回収に来ることを知らなかったんか、とか業者との連携がとれてないではないか。

等々、話しをしている内に11時になってしまいました。運転手はいつ帰るかと聞くと、12時

ごろとのこと。クリーンセンターに車両の番号を連絡して何時に入ったか確認したかと聞くと

教えてくれなかったとのこと。直接、クリーンセンターに電話すると入った時間はわかります

とのこと。すぐに担当者にクリーンセンターに電話させました。

10時に業者がクリーンセンターに入ったことがわかりました。

ゴミとして処分されてしまった、愛犬マック?(死体を確認できていないため?が付く)

これ以上、ここにいてもどうしようもないので「すみません」と言う担当者とその上司に見送られ

ネクスコ西日本岡山を後にしました。

ペットピアには、遺体をゴミで処分されたことを伝え、葬儀を中止し、そのまま家に帰りました。

ブラシに毛が少し残っていましたので、毛を埋めてやりお墓を家の前の山の中腹に建ててやり

ました。

御嶽山の噴火のニュースを見るたびに、涙がでます。胸に大きな空洞ができたようで

何も手につかない今日このごろです。

どこにも言うことができないので、のんちゃん日記に書きました。

追 記;私がネクスコ西日本岡山の事務所で話しをしていたのは、1時間ほどでした。その間

妻は、マックが入っていた冷凍庫の前で茫然自失の状態だったようです。

私が、事務所を出ると、冷凍庫の前で泣いていました。高速パトの隊員さんからこんな話しを

聞いたそうです。「木曜日の晩、鴨方インターの中で犬がうろついていた。探したが見つからなかっ

た。金曜日の朝10時頃、鴨方インター近くで横たわっている犬を発見し、まだ息があったので、

動物愛護センターに搬送中、息を引き取った。愛護センターに連絡しこちらに運んできた。」

動物愛護センターからは、ネクスコ西日本岡山の担当者の名前も教えていただき、すぐに連絡を

とりました。担当の方からは、詳しい状況は教えてもらえませんでした。おそらく担当の方が

冷凍庫を開けたのは、私たちが引き取りに行った時だけかもしれません。高速ではねられた、

冷凍庫で保管、と言う言葉で、変わり果てたマックを想像してしまいました。その時の状況を

少し説明してもらえてたら・・・・対応の仕方が違っていたかも、と残念です。

 マックは、車が大好きで、私たち夫婦が買い物に行く時は必ずついてきます。車に乗ると

安心して景色を眺めたり、くつろいで寝ていました。おそらくパトにのせられた時に安心して

息を引き取ったんではないかと想像します。