2022年1月24日月曜日

西の明日香村(北房)古墳探検研修会

 1月19日(水)、真庭市職員退職者会が開催しました「西の明日香(北房)古墳探検研修会」に参加させていただきました。

   
研修会は、真庭市職員退職者会伊井邦雄会長のあいさつで始まり、まず最初に北房文化遺産保存会代表の久松秀雄さんから「西の明日香(北房)の古墳」と題してお話を聞きました。

北房地域は、岡山県の北西部に位置し、地域の中央部を西から東へ向かって、旭川の支流、備中川が流れており、その両側に平地が開け、田畑や町並み・集落が開けています。                                                                                                                                                                                                                                                                  盆地を囲む山すそには、240ヶ所を超す古墳があり、県内でも古墳の多い地域だそうです。

古代、この地域が交通の重要な所として栄えていたと考えられます。古墳は、古墳時代の初めごろからずっと築かれ続け、他では築かれなくなった飛鳥時代に「なっても築かれています。このことが、他の地域との大きな違いだそうです。

次に、北房文化遺産保存会の奥田健治さんから「荒木山古墳群測量・探査調査報告」についてお話を聞きました。

上水田地区にある古墳で盆地を北に望む低い山の上に荒木山東塚・西塚古墳があります。東塚古墳は、真庭市で最古の古墳で3世紀末から4世紀初めにつくられた前方後円墳です。中世の時代、山城として使われ、削られたり、掘られたりして、つくられたころより変わっているところもあるそうです。そして、西塚古墳は、東塚に続いて4世紀になってつくられた前方後円墳です。保存会では、山をきれいに掃除して、測量・電気探査を行ったとのことで、地下の石室などの想定が出来たそうです。

現地研修では、最初に大谷1号墳に行きました。

この墳丘は、全国的にも例のない5段石積みの様式を採っており、過去の発掘例では、天皇クラス以外には見受けられないそうです。石室は、切石積で両袖式、床面は板状の石を敷き詰めています。中からは、陶棺と木棺が各一基、金銅装の双龍環頭太刀、スコップの形をした金銅製品が出土したそうです。

日本書紀に、天武天皇8年(697年)、吉備の大宰(おおみこともち)石川王が吉備で病死したとあります。また、大谷古墳の近くに大宰という地名が残っていることなどから、被葬者は、吉備の大宰が有力だろうとのことです。加えて、石室が奈良の明日香村に在る岩屋古墳の10分の7の相似形で、当時の唐尺を用いているなど、技術者が畿内から来たのではかとも考えられるそうです。

二番目の見学は、定古墳群の東塚・西塚を見学しました。

この古墳は、当初、2基の石室を持つ前方後円墳と見られていましたが、平成6年からの発掘調査で連続して築かれた2基の方墳であることがわかったとのことです。特に目を引くのが、東塚から出土した金糸や金製環等の副葬品であったそうです。

7世紀この地域は、吉備地域に在りながら、より畿内との結びつきが強い、異質な勢力の支配下にあったと見ることができるそうです。

「なかつい陣屋」昼食休憩の後、荒木山古墳群の見学に行きました。

午前中に奥田健治さんからお話を聞いた古墳です。東塚は、全体の長さが約45m、西塚は、全体の長さが63mの前方後円墳で、前方部は、三味線のばちに似ていることから「ばち型」といわれるそうで、この目で感じることができました。西塚は、今後、発掘調査を手弁当で行うとのことでした。

そして、最後の見学は「北房ふるさとセンター」で、北房文化遺産保存会会員・地域おこし協力隊の橘高七海さんの説明を受けながら、出土品の陶棺や太刀などを見学させていただきました。

北房は、私の生まれ育った所です。お話や古墳を見学させていただき、古代ロマンを感じることができました。研修会を企画していただきました真庭市職員退職者会、ご説明をしていただきました北房文化遺産保存会の皆様に心より感謝を申し上げます。  (長田照孝)