2014年7月18日金曜日

新・相生橋 OBだより98号(2014年7月1日号)掲載

新・相生橋は、十二年秋号から野田編集者が、この誌を通して会員間の相生を睦びつけるため設けられた。この欄を担当しているが、果たして会員の琴線を響かす文章となっているかと、原稿締切日が迫るとその脱稿に嘖まれる。けだし、書くことの難しさについて、著名な評論家・丸山眞男(一九九六没)が広辞苑を著した新村出を例えて次の文を残している。「新村は八十二歳の生涯に二十四万語を解説した辞書を昭和三十二年に出版した。出版祝会に新村は、『日本語の語彙は、永遠の生命を包み込むほどの深い味わいがあり、他国には求められない。愛について、二年の推敲を費やし、ペン先に体中の血液が浸む思いだった。』」と丸山著作集にある。書くことの重みをこの新村の所感に重ねるのは、いささか畏れ多いであろうか。

 前号で約した「感性と文化」について、制約があるので結論から述べよう。日本人の感性は、西欧人の感性が動情的であるのに対し日本人のソレは静情的であって、対峙している▼その要因は、日本人に古来自然崇拝の概念が備わっていたことによる。西欧における絶対的神を敬う一神教は日本には育たなかった。日本では、神・仏教において自然の中に無数の神・仏を見付けて、これを敬ってきたので、例外はあったが宗教対立による戦いは起こらず、自然と環境を守るというルーツが育った▼その根底には、農耕民として自然と共生する民族習性が培われ備わってきた。一方西欧は住まいを移動しながら自然を征服しようとする狩猟民であるので、生き方の違いがあった。日本人は、常に陽の光を崇め、花鳥風月に心を癒やす智恵が育ったのである▼こうした世界観の違いは、芸術の側面を見ると、動と静との感性の違いが明らかに理解できる。西欧の音楽では、音符の強弱の激しさと対立と喜怒哀楽感情。絵画では強い濃淡の色相。文学では愛と恋・生と死・怒りと受容との葛藤が高い芸術とされてきた▼一方日本の静では、豊かな象徴性をもって表現することに徹した。音楽では、琴・三弦・笙など雅楽に音階はなく、ひとの間と感で奏し、絵画では西欧の遠近法ではなく表面性とし、文学では俳句・和歌・謡曲などにみられるように、事実の表現でなく、たった一言一語で情感や自然界を表現してきた。また能・茶・華・武・剣の道は負者を立てる作法を旨とした象徴性で表現している。日本人固有の感性と文化が、今に伝承されていることを日本人は誇りにしたいものである。

(次号は県職労のつれづれを予定)(R・T)