2014年9月17日水曜日

新・相生橋 OBだより99号(2014年10月1日号)掲載

コラムの原稿が迫ると、陶淵明の漢詩(及時當勉励歳月不待人:歳月は人の都合にかかわらず過ぎていく。ならば自ら努めよ。)を重ねて思う。コラムの読み人や、恙なくおくらしでありや、なしやとも思う。この文を書いている今、広島の災難のニュースが連日流布され、自然の猛威に驚くが、この災難は日本の災難史に残る稀有な事象となるであろう。けだし、アテネの都市国家を創った哲人ソクラテスとプラトンは「都市は人間が創り、自然とコミュニティ(共同社会)は、神が創った。自然には人為を加えず崇拝しむやみに侵さず」(BC427年・国家都市概論)と著している。日本の宗教観でも、山岳河岩森には、神・仏の霊が宿り、これを敬いいたずらに諫めると、タタリがくると説かれてきた。

 社会という言葉は、日常よく見・聞き慣れた言葉である。その語源を辿ると「すべてを結合する」とある(福武直編・社会学辞典)。続けて、明治維新西洋文化と共に日本にもたらされ、福沢諭吉が「仲間・交際・世態・地区・会社」と定義した。いずれにしても、人間の生活を基盤として、そこに住む人々の共通の利便性を求めるための集まりであると訳した。1950年矢掛町出身の社会学者福武直は、これを「結社(アソシエーション)」と「地域(コミュニティ)」に分けて定義した。これが現在集団の普遍的概念として用いられている。▼県職労は、どちらに属すかといえば、前者である。県職労の発足は、1946年12月20日に創立された。初代委員長・秋山勇は創立総会で、「お互い食べられない。着物もない生活は苦しい。思い切ってヤミ屋になろうか。県庁に残ろうか。ヤミ屋の盛況を見ながら考える」と、組合のスタートは「貧困脱出」からだった。と県職労50年史の巻頭言にある。▼県職労は、今日まで労働組合の基本的任務である労働組合の改善に取り組む一方、地方自治に関わる労働団体として、地方自治体本来の在り方を求めて、各種の取り組みを行ってきた。現在の組合活動は、経済社会の停滞によって、これまでの進路舳を変える時に直面していると聞く。▼今の社会を俯瞰すると「社会病理現象」(人口逆構造・貧困・犯罪・財政難・社会保障弱・共同社会解体・個人の孤立化・家族崩壊等)が進展しつつあり、冷えた社会構造が見えてくる。▼国も地方も財に乏しく、職員の減員と機構改革(悪)を行い、特に市町村合併によって行政サービス低下の声が聞かれる。一方で農協・郵便局が消え年寄りの嘆きが聞こえている。▼県職員数の推移は表のとおりであり、20年まで四次の削減が行われた。また、給料諸手当もカットされたが、公僕の精神によってジット我慢に耐えて今日を迎えているとのこと。▼また、ほとんど文書なる情報は消え去り、IT化により机を並べる隣の職員が何をどう取り組んでいるか知らないでコト・ソトが進行しているという。かつて、「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」を旨とした頃の「県庁家族社会」は、必然的に幻想となったと聞いた。

(次号は新年にちなみ「美しい日本の特性」)(R・T)

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