2017年10月2日月曜日

新・相生橋 OBだより111(2017/10/1)号

 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(古今集・藤原敏行)移ろいゆく日本の秋を歌った著名な和歌である。今から600年前の京都で、今と同じような秋の風・虫の音色・山野の色などの自然が残っているだろうか。と訝しく思える▼そう思った理由は、近年の日本を始め地球全体の気象が異常な現象を呈しているからである。最近の梅雨は、カラ梅雨で、真夏日が続き突然ゲリラ豪雨になり、しかも局所的に移っていく大雨が降っている。この原因は、地球温暖化・海水の異常な高温などが指摘されている。これの多くは、人間の生活を便利にするために科学文明の発達によることにもよる。自然をいつまでも残していかねばならない▼自然の世の営みは、平穏であってほしいが、一方この数年の日本の「カタチ」が壊れつつある。と多くの識者が指摘している。これを称して「平成の末法時代*」と表現されている▼政治・経済・治安などが、社会構造の負の側面をかかえ込んで、国民の関心がそれらの部分から離れてしまっている。との指摘である▼主なモノを列挙すると、①政治家の無能力・見識のない言動②安倍首相の政策は、次々とスローガンだけを派手にあげ中身のない具体的政策まで至らず、いつの間にか又新しいフレーズで国民を煙にまいていく③国民の生活実態に対応した社会福祉政策を行うこと④教育政策を大計をもって樹立すること▼日本の歴史では明治維新と戦争を経て、当時の荒廃した世の中から、新しい日本国が成立してきた。この2つの時代の政治家や経済人は、国のために命がけで打ち込んできたから今日の姿がある▲司馬遼太郎とドナルド・キーン氏の日本の文化史をひもとくと、明治維新と大戦から日本が立ち上がれたのは、①官僚が一本の筋に寄っていたこと②官僚・政治家は、公金に手を染めなく、人事権と政策権を分けて国政を行った。今号はまとまらないコラムとなりました。秋の夜半読書でも楽しんでお過ごしください。
*末法時代とは、平安時代後期の7年間、政治、経済が混沌とし、加えて地震の多発・大火災・伝染病の流行などによって民衆が困窮した時代

(H29・9月記 コラムvol.16編 日本コラムニスト倶楽部会員 R・T)