2014年3月18日火曜日

のんちゃんの あの人はいま ⑥ ~ 柘野 健次さん ~ 


水川陶影記念館を開設した

柘野 健次 さん
2000年(平成12年)退職

2013.8.15 記念館訪問



「釉薬の可能性に挑み続けた水川の作品を通して吉備焼の魅力に触れてほしい」と
話す柘野さん。

[野田]          
築100年の古民家を改修した記念館
記念館を開設した経緯を教えてください。

[柘野]          
築百年の古い家が売りに出されていたのを購入し、
自分の手仕事で古民家として再生させました。
妻の父親が、笠岡で吉備焼作家として活躍。
その水川陶影さんの作品を四十年近く集めていたものを「記念館」として、皆さんに思い出してほしいと思い、展示することにしました。

[野田]          
主な作品を何点か挙げてください。

[柘野]          
「緑釉柳文鉢(りょくゆうりゅうもんばち)」というのがあるんですが、
これは金重陶陽賞を受賞した鉢で、記念館開設と同時に思いがけず手に入りました。
次に辰砂(しんしゃ)の茶碗ですが、
これは辰砂という赤い色を出すのが、陶影の最も得意とするものです。
また、小野竹喬のあかね色をモチーフにした「茜(あかね)志野茶碗」などがあります。
辰砂茶碗
志野茶碗
[野田]          
柘野さんの今の夢があれば教えてください。

[柘野]          
水川陶影の作品展だけでなく、ここで企画展をしたいと思っています。
今年の秋に、陶の旅人「小山冨士夫」交遊展を企画中です。
小山さんは、倉敷玉島生まれで、日本陶芸の父と言われています。
焼物、著書、手紙等を展示します。
本だけで百冊近くあります。焼物が二~三十あり、手紙も七~八通あります。
その後は、署名本展、痕跡本展、書状展、吉塚勤治展、文士の肖像展等を考えています。

[野田]          
私達後輩に対して何か伝えたいことがあればお願いします。

[柘野]          
若い人達は、何事にも好奇心を燃やしてほしい。
あらゆる物に興味を示して、関心を持ってほしい。
好奇心を失ったら、人生は良いことにならんと思います。
また、何かを得ようと思えば何かをがまんしないといけない。
好奇心を燃やして人生を生き抜いてほしいというのが、私の願いです。
私も好奇心だけを失わずにきたからここまでこれた。何ごとにも挑戦してほしい。
チャレンジャーであってほしい。
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水川陶影記念館             
〒711-0911 倉敷市児島小川6丁目6-65
瀬戸大橋線「児島駅」から         
 ⃝徒歩30分                  
 ⃝タクシー10分                
開館時間/10:00~16:00         
休 館 日/毎週月曜日・木曜日       
入 館 料/300円(中学生以下100円)    
駐 車 場/3台                 
問い合わせ/086-473-1428(自宅)    
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記念館訪問時に柘野さんから原稿をいただきましたので、掲載させていただきます。
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人生雑感

 柘 野 健 次  





平成十二年に退職したのだから、県庁を去ってから十三年になる。
七十歳をこえ、人生の終末が見通せるようになった今、
これまでの県庁マン人生を振り返ってみたい。

県庁マンとしては多分、落第生だったと思う。
落第生でなかったとしても、それに近い部類だったろう。
しかし、ものは考えようだ。
財政課だ、やれ企画課だ、地方課だといった花形職場でなかったが故に、それなりの苦労はあったが、土曜日が半ドンの時代、半日を好きな書店めぐり、美術画廊めぐりをすることができた。

かつて日本銀行に、吉野俊彦さんという人物がいた。
氏は東大法学部を出て日銀に入り、初めての赴任地が岡山だった。
吉野さんにとって、不本意な地だった。
しかし、ここからが吉野さんの真骨頂で、岡山で金融の実態を深く学び、岡山人と交流を重ねた。そして念願の日銀調査部に帰っていった。
氏の人生哲学は「複線的人生を生きる」ことであった。
サラリーマンたる者は、まず自分に与えられた仕事を天職と心得て、仕事を愛し、そこに生甲斐を見出すことである。

しかし、これだけでは寂しい。
余暇を見つけて第二のライフワークを発見すべきである、というのだ。
森鷗外に学んだ吉野さんの人生観は、私の心を打った。
私も乏しい能力ながら、仕事には精一杯の努力を傾けてきた。
結果はごらんの通りである。

だが、新刊書店をめぐり、古書店を漁り、身銭を切って書物を買い集め、読み進めたこと(?)、美術館やデパートの美術画廊で「美の世界」に浸ったことなどが、今の私の人生に影響を及ぼしていると考えている。

若い県庁マンの皆様は、新聞を読んでおられようか。
アベノミックスだと騒がれ、株価の動向に一喜一憂し、国民の暮らしは一向に良くならない。
働く能力も意思も持ちながら、満足する雇用の場が確保されない厳しい現実。
暗い夜が明ければ、必ず光射す朝がやってきて、仕事に勤しむことができた安心感は、何物にも代えがたい幸福な時代であった。

新聞報道によれば、東日本大震災後、岡山に移住する人が増えているという。
災害が少ない、気候が温暖、交通の利便性がよい、といった点が評価されたらしい。
岡山に与えられたこの優位性を生かして、岡山を元気な県にしてほしいと願う。

「のんちゃんの あの人はいま」
シリーズ6 94号掲載

「のんちゃんの あの人はいま」
シリーズ6 94号掲載