バリ島に家を建てた
谷本 基さん(73才)
1998年(平成10年)退職
2012.10.16 面 談
[野田]
バリ島にみんなの家を建てられたそうですが、その経緯を教えて下さい。
[谷本]
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バリ島のみんなの家 |
それから何度か行っている間に、台所が使える場所がほしいと思うようになりました。
退職を契機にバリ島の空港から三十分のクロボカンにみんなの家を建て、現地の人に家の管理をしてもらうことにしました。一年に一回、一週間から十日程滞在します。
毎年、十人程の人と一緒に行き、家を拠点にして、他の島に遊びに行きます。
今年の七月に一つの区切りとして、みんなの家を手放しました。
[野田]
バリ島での思い出を聞かせて下さい。
[谷本]
バリ島の大学と岡大の先生がタイアップして、熱帯の乾燥地農業の試験・実験をしていました。
農園に、岡大の先生と行き、バリ島の大学の先生との付き合いをしました。バリ島の隣のロンボク島のマタラム大学の先生、また、スラエス島(セレベス島)のハサヌディン大学の先生のお世話にもなりました。トラジャー地方のコーヒー栽培にも連れていってもらいました。それらの大学から岡大医学部に留学生がきており、友人との交流がたくさんできました。
[野田]
インドネシアからの留学生との交流は、当然あると思いますが。
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ロンボク・マタラム大学 この後3日間バスを出してくれました |
[谷本]
留学生が来ると、誰かがすぐに生活の世話をします。
[野田]
ところで学生証をお持ちでしたが。
[谷本]
平成十年から今も放送大学で勉強しています。
主に歴史と人間に関係する分野の勉強をしており、今は、人類の歴史を勉強中です。
[野田]
今、考えられていることは。
[谷本]
インドネシアの看護師を連れてきて、看護師をしながら日本語を習ってインドネシアに帰る。日本語のわかる看護師が増える。日本人がインドネシアで老後を過ごす時に頼りになる。物価も安い。せっかく日本で勉強させたのだから、結果を利用しないと損である。日本での生活の何分のいくらかでインドネシアでは生活できる。
老後の暮らしをインドネシアで過ごす。日本語のわかる看護師がいれば安心です。
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「のんちゃんの あの人はいま」 シリーズ3 92号掲載 |