退職者会の霊場めぐりも後3回で終了し、お礼参りに高野山に行き、西室院に1泊する予定です。
ネットで「来てみられえ こうやさん in 晴れの国」を見つけました。
高野山開創1200年を記念して全国から青年僧侶が結集して、磨屋町キッチンPACOで「イタリアン風本格精進料理を無料お接待」、5月29日、今日です。
さっそくキッチンPACOに行きました。1時間前に行ったのにすでに50人ほどの人が並んでいました。私の目的は、イタリア風本格精進料理を食べてみったかったのですが、「蝉丸P独演会]を聞きにきている人もたくさんいました。蝉丸Pさんは僧職系男子ともリア系ともいわれているらしいです。
高野山の歴史、地図、宿坊一覧をいただき、高野山での宿泊予定の西室院の情報を教えていただき、また無料の精進料理(パスタとピザが選べます)のパスタをいただき、さらに参加記念レシピまでいただきました。
霊場めぐりに参加されている退職者会の皆さん、今年は開創1200年ということで高野山はにぎやかなようですぞ。
2014年5月29日木曜日
2014年5月27日火曜日
のんちゃんの あの人はいま ⑧ ~ 草野 文雄さん ~
たとえ病気であってもあきらめない
草野 文雄さん
2005年(平成17年)退職
2014.1.23
岡山高齢者・障害者支援ネットワークの事務所訪問
[野田]
草野さんは、平成17年に県を退職されましたが、その後のことを教えてください。
[草野]
平成18年には、社会福祉士の資格を取得し
岡山パブリック法律事務所で成年後見の勉強をし
平成19年からNPO法人 岡山高齢者・障害者支援ネットワークの事務局としての後見の仕事をし
現在に至っています。
[野田]
これまで仕事をされて特に印象に残っていることがあれば
[草野]
私が担当した人で、精神病院に60年ほど入院していた人がいました。
その人がお亡くなりになったんですが、身寄りがなくNPO法人で葬式をし無縁仏になるしかないと思っていた時に、岡山に甥が見つかり、葬式をし遺骨も引き取り埋葬をしていただき、ほっとしたことがありました。
[野田]
これからは、そのような人が増えてきて、NPOの仕事は大事になってきますね。
ところで、高齢の方や障がいのある方の、法律や福祉の相談会を無料で開催されているそうですね。
[草野]
ネット懇が「高齢者・障がい者何でも相談会」を毎月第1土曜日の午後1時から4時まで
きらめきプラザ2階のゆうあいセンターで、予約不要で無料で開催しており
誰でも相談にのってもらえます。
弁護士、司法書士、行政書士、社会福祉士、看護師等が相談にのっています。
その事務局的な仕事をしています。
[野田]
健康には苦労されたと伺っております。今のご様子とか伝えたいことを教えてください。
[草野]
実は、30歳ぐらいから腎臓が悪く、徐々に悪化し、50歳から透析を続けており
56歳で県を退職しました。
その後のことは先ほど述べたとおりです。
昨年、おかげで腎移植をうけることができ、まだ療養中です。
腎移植をうけるには、平均して15年ぐらい待たないと順番が回ってきません。
14年6ヶ月待ちました。血液が一致する人はなかなか見つかりません。
私は、きっと順番がくるだろうとあきらめずに待ちました。
社会福祉士の資格も取って生活設計をたて、65歳になりましたが
これからもこの仕事を続けていきたいと思っています。
何事もあきらめずにこつこつやっていくことが大事だと思います。
たとえ病気があっても、あきらめないということが大事だなと思います。
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高齢者・障がい者権利擁護ネットワーク懇談会 何でも相談会告知 |
![]() |
「のんちゃんの あの人はいま」 シリーズ8 96号掲載 |
2014年5月23日金曜日
2014春のバス旅行;出雲大社・玉造温泉1泊2日の旅同行記(野田雄一郎)
5月20日(火)午前8時に総勢29名を乗せて無事に岡山を出発し、最初の目的地の国営備北丘陵公園を一路目指しました。天気予報によると昼過ぎから雨とのこと。
予定より少し早く備北丘陵公園に到着しました。
備北丘陵公園は、庄原市にある中国地方唯一の国営公園で、340haの面積があり、すべてを見るには1日かかります。「花の広場」を中心に散策しました。
ワインの試飲も少しできました。
昼食後は、「まがたまの里伝承館」を目指して新しく開通した松江自動車道を三好
から松江玉造まで、バスで1時間半ほどで着きました。
日本の原風景・出雲の地を彩る勾玉。見て、触れて、体験する、日本で唯一のまがたまの里で
す。
伝承館を出ると予定より早く本日の宿、玉造温泉の松乃湯に到着しました。このころから小雨が降り出しました。
松乃湯のすぐ前の建物で本場のどじょうすくいが夜8時半から見られるとのことで、夕食後、見に行きました。500円です。
翌5月21日(水)は、一晩中降っていた雨もやんで、すっきりした天気のもと、朝から出雲大社に参拝しました。ガイドさんがついて初めての人もわかるように説明がありました。パワースポットとして注目されている理由がわかったような気がしました。
出雲大社参拝し、すぐとなりにある「古代出雲歴史博物館」を見学しました。ここには、出雲大社大柱(平成12年に出土した本殿の本物の巨大柱)が展示してあり、また高層神殿復元模型もありました。
昼食は島根ワイナリーにてそば定食を食べ、ワインの試飲をしました。
天気予報では、雨でしたが私達の旅行中は、雨もふらず(夜中はかまり降っていた)、時には青空が見られました。神々の里、出雲を後にして、全員無事に岡山に帰ってきました。
2014年5月19日月曜日
高退連玉島地区史跡めぐりに参加しました。
5月18日(日)、高退連主催の玉島史跡めぐりに、岡山県職員退職者会から車5台に分乗して、13名が参加しました。総勢50名を超える参加者を5グループ分けし、それぞれにボランティアガイドさんがつきました。集合場所の円通寺で各自、綿植えをし、自分の名札を立て、その後、ガイドさんの案内で円通寺公園を案内してもらいました。
私達、退職者会は全員第1グループになりました。
良寛像、かやぶきの屋根の円通寺、石庭、源平合戦古戦場、良寛さんの和歌、芝生の公園を午前中散策しました。
お昼は、事前に予約しておいた松花堂弁当を良寛荘のレストランでいただきました。
午後からは、なぜか岡山市現業退職者会の4人の参加者も第1グループに加わり、私の不手際もあり道に迷いながら何とか玉島図書館の駐車場までたどり着きました。
駐車場には、心配したボランティアの方が、すでに待機しておられ、西爽亭までドラム缶の浮橋を通り商店街を通って案内していただきました。
西爽亭とは、備中松山藩主の御座所になっていた柚木家の邸宅。国の登録有形文化財に指定されています。1781年~1789年に建築され、菅茶山によって「西爽亭」と名付けられました。
熊田 恰(くまた あたか)が自刃し、その飛び散った血を拭いた後が天井に残っています。
説明は、西爽亭当主の柚木爽一郎さんにしていただきました。
熊田 恰は、備中松山藩士で、1868年、鳥羽・伏見の戦いの際、幕府方の藩主板倉勝静の親衛隊長として大阪詰で活躍した。板倉候から帰藩の命を受け、備中玉島港に上陸したものの、鎮撫使(明治維新政府が任命した臨時の討伐長官)の討伐を受けた松山藩は、恰の帰藩を認めなかった。事情を知った恰は、行動をともにしている部下の助命を嘆願し、西爽亭で自刃した。
これによって玉島は幕末の戦火を免れたそうです。
そんな話しを聞きながら、西爽亭を後にし、再び商店街を散策し帰路につきました。
私達、退職者会は全員第1グループになりました。
良寛像、かやぶきの屋根の円通寺、石庭、源平合戦古戦場、良寛さんの和歌、芝生の公園を午前中散策しました。
お昼は、事前に予約しておいた松花堂弁当を良寛荘のレストランでいただきました。
午後からは、なぜか岡山市現業退職者会の4人の参加者も第1グループに加わり、私の不手際もあり道に迷いながら何とか玉島図書館の駐車場までたどり着きました。
駐車場には、心配したボランティアの方が、すでに待機しておられ、西爽亭までドラム缶の浮橋を通り商店街を通って案内していただきました。
西爽亭とは、備中松山藩主の御座所になっていた柚木家の邸宅。国の登録有形文化財に指定されています。1781年~1789年に建築され、菅茶山によって「西爽亭」と名付けられました。
熊田 恰(くまた あたか)が自刃し、その飛び散った血を拭いた後が天井に残っています。
説明は、西爽亭当主の柚木爽一郎さんにしていただきました。
熊田 恰は、備中松山藩士で、1868年、鳥羽・伏見の戦いの際、幕府方の藩主板倉勝静の親衛隊長として大阪詰で活躍した。板倉候から帰藩の命を受け、備中玉島港に上陸したものの、鎮撫使(明治維新政府が任命した臨時の討伐長官)の討伐を受けた松山藩は、恰の帰藩を認めなかった。事情を知った恰は、行動をともにしている部下の助命を嘆願し、西爽亭で自刃した。
これによって玉島は幕末の戦火を免れたそうです。
そんな話しを聞きながら、西爽亭を後にし、再び商店街を散策し帰路につきました。
2014年5月8日木曜日
総会が盛会に終わりました。
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