2016年4月27日水曜日

第29回定期総会、盛況の内に終了

岡山県職員退職者会の第29回定期総会は、2016年4月23日(土)、10時半から岡山市駅前町

のサンピーチ岡山にて、70名が出席して開催されました。

総会は、政久副会長の司会で始められ、鈴木会長のあいさつの後、来賓挨拶と続きました。当日

はちょうど連合の中央メーデーと重なっていました。来賓は、私たちの上部団体の自治退岡山県本

部の会長、「飯島尚教」さんと、真庭市議会議員、「柿本健治」さんで、それぞれに挨拶をいただき

ました。退職者会の会員でもある「高原俊彦」県議会議員は、中央メーデーに参加して、午後から

懇親会に出席しました。

 また、多くの方々からメッセージと祝電が届いており、樅野幹事から披露されました。。

自治体退職者会顧問 参議院議員「えさき たかし」さん、全日本自治体退職者会会長「吉沢

弘久」さん、自治労サービス 代表取締役社長「澤田 陽子」さん、岡山県関係職員労働組合連合

執行委員長「大島 康治」さん、全日本自治体退職者会広島県本部 会長「下松 聰忍」さん、

同島根県本部 会長「谷 正次」さん、津山市議会議員「秋久 憲司」さん、倉敷市議会議員「藤原

かおり子」さん、赤磐市議会議員「原田 素代」さんです。

 総会議長には岡山市の橋本忠幸さんを選び、15年度活動報告、決算報告、会計監査報告を承

認し、16年度活動方針、16年度予算を決定しました。

 今年度は、役員交代の年ではないので、引き続き現在の役員で頑張ります。

 事務局が旧三光荘のあとに移転したため、規約の一部改正をしました。

 すべての議事が終了後、橋本議長の挨拶があり、瀬島副会長の挨拶で総会は閉会しました。


 総会終了後、特別講演になりました。

講師は、大蔵流狂言師「田賀屋 夙生」さんです。狂言と夢と題して、これまで海外公演6回の

エピソードを1時間お話になりました。特にアイルランドでのオーバーブッキングはまったくの初体

験で途方にくれたそうです。何とか安アパートのような所に何泊まれたそうです。その他、狂言につ

いての基本的な知識を説明し、発生練習もしました。

 参加者みんなで、大きな声をだしての発声練習でした。


 その後は、懇親会場に移動しました。鈴木会長の挨拶を兼ねた乾杯の音頭で始まり、盛会の

うちに午後2時半ごろ、最年長(87歳)の高橋俊朗さんの閉会挨拶で終了しました。

 なお、当日参加された80歳の、石黒章子さん、今井孝明さん、政久弘美さんに、会長より

記念品の贈呈がありました。

 懇親会の途中で、平成12年3月退職の住田理恵さんから「現在、カラオケスナックをやっていま

す。男性3千円ですが、本日のみ2千円にします。帰りにお寄り下さい。」と案内がありました。

 皆さん、来年の総会での再開を楽しみに帰路につきました。


























 

 





 

2016年4月5日火曜日

自治退の中国・四国地域学習会、無事に終わりました。

16自治退地域別学習会が3月24日、25日に無事に終了しました。

中国・・四国地域の自治体退職者が岡山のサンピーチ岡山に集まりました。

今回の学習会の参加者は、県本部・単会124人、本部・地連・県本部役員・来賓・講師等19人、

合計143人でした。

宿泊も、サンピーチと東横インに分散しました。

学習会は、地元の岡山県本部会長の飯島尚教さんの挨拶で始まり、同じく自治労岡山県本部委

員長の古林久和さんから来賓挨拶がありました。

その後、自治退会長の吉沢弘久さんから情勢報告がありました。

「日本における人権、民主主義、立憲主義、平和主義を取り戻そう」と題し、平和フォーラム副事務

局長の勝島一博さんから提起があり、自治労共済・安心総合共済の説明がありました。

夕食懇親会は、地元岡山県本部に任すということで、県本部事務局長の野田が司会をしました。

催し物として、「ちんどんゆばら」と歌手の「ひとみ」さんのそれぞれワンマンショーを企画しました。

「ちんどんゆばら」は5人で場内を練り歩き、場内は異様に盛り上がりました。

津山出身の歌手「ひとみ」さんも会場からのリクエストにこたえて歌い、、興奮の内に懇親会は

無事に終了しました。

翌、25日は「山中一揆」について、植木紋次郎さんが講演をしました。

参加者は、満足して帰路につきました。













2016年3月8日火曜日

退職者会事務局が岡山県庁分庁舎に移転します。

3月22日から、岡山県職員退職者会の事務局が旧三光荘あとの岡山県庁分庁舎に移転します。

当面の予定をお知らせします。

※ 3月16日(水)14:00~16:00 「労働福祉事業会館」5階
         「連合岡山退連政治学習会」

※ 3月24日(木)14:00~3月25日(金)12:00 サンピーチOKAYAMA
         「自治退中国・四国地域学習会」

※ 4月12日(火)10:00~  「法要庵 倉敷中央会館」
         「連合岡山西部地退連 第1回学習会」
         内容;「エンディングノートの書き方」
             「家族葬について」

※ 4月17日(日)10:00~ 連合岡山・倉敷地区協議会  鷲羽山ハイランド
         2016 メーデー in 鷲羽山ハイランド

※ 4月23日(土)10:30~ 14:30  サンピーチOKAYAMA
         岡山県職員退職者会 第29回定期総会
         総会の後、特別講演「狂言と夢」があります。
         講師は、大蔵流狂言師 田賀屋夙生さんです。
         その後、昼食懇親会があります。

移転先の地図は以下のとおりです。
  

2016年2月23日火曜日

「終活」のすすめ⑬  「岡山のお葬式事情① ~新しい人生の始まり~」

「終活」のすすめ⑬

「岡山のお葬式事情① ~新しい人生の始まり~」

終活カウンセラー 川上 恵美子



「私にこの仕事ができるのだろうか」

旅行会社で添乗員をしていた私が、結婚を機に家業の葬儀社で働くことになり、

人の「死」とどう向き合えばいいのか悩む日が続いた。


「お葬式」をしたいと思ってしている人はいない。

むしろ「死」を避けて通れるものであればと考えるのが普通だろう。


働き始めて間もないころ、「川上さん、本当にありがとう。これからもよろしくね」と

声をかけてくれた80代の奥様がいた。

葬儀の知識も経験も全くなかった私の手を何度も握ってくれた。

その時私にできたことは奥様からご主人との思い出話をうかがう事だけ。

「川上さん、主人の顔を見てくれる。とてもいい顔してるでしょう。

話を聞いてくれて本当にありがとう」とご主人様を見つめる奥様の笑顔が今でも忘れられない。


葬儀後に訪問すると、「私のときは子供たちに迷惑かけたくない。何か準備をした方がいいかしら」

と相談されたので、私は家族の皆さんに集まってもらうことを提案した。

家族会議というのも仰々しいので、葬儀について意見や感想を聞きたいと私から持ちかけた。

話題は、ご主人の最期を通じての反省や後悔など 互いに話しにくい、

聞きにくいと思っていたことにも及んだが、皆さんが笑顔で話す姿がとても印象に残っている。


「元気なときから自分と向き合うこと」で、より自分らしい死を本人だけでなく、

家族も迎えることができる。


そのためには、考えや思いを大切な人と共有する場をつくることが一番大切なのだと分かった。

「終活」とは「自分と大切な家族への愛情表現」だと思う。

ご家族の話をじっくり聴いてその橋渡しをしたい。

これが終活カウンセラーとしての人生の始まりである。





次回は「岡山のお葬式事情②」をお届けします。

2016年1月4日月曜日

新・相生橋 OBだより104号(2016年1月1日号)掲載

 明けましておめでとうございます
 会員各位におかれては、家族と共に新年を寿ぎお迎えのこととお喜びを申し上げます。
 コラム相生橋の「相生」とは、一本の樹木の根から二本の幹が相接して生え出ることであり「相老いる」と掛け、古来縁起良いことを意味している。古今和歌集序編には「高砂・住吉の松も相生のように覚え」とある。さらに、人と人とを紡ぐ絆に例えられる場合もある(古語辞苑)▼かつて県職員としての志を共有した者が、この機関誌を通してお互いに心を通わす思いのかけ橋になることを期待したい。昨年2回(号)に亙って近況報告が載ったが、270名の筆跡と氏名とを重ねて、彼の地で元気に暮らしておられることを想像するよすがと思えた▼毎年新年を迎えると、いつもの場所に新しい暦が居座る。また今年一年この日々と付き合うのかと感慨する▼「初暦知らぬ月日の美しく」(古屋信子句)新雪のように染みのない12ヶ月の日々。今年は366日(1784時間)がこの暦に詰まっている。元日の午前0時から時の針は一刻も止まらず人生年輪を刻み続けるのだ。果たして今年はどんな日々が待ち受けているか。どうか恙無く、苦災がない「日々是好日」であってほしいと願う正月を迎えた▼きのうまで一年間壁に掲げていた暦は、古年の想い出と共に、暗やみに溶け去っていく人生の無常感を感慨する▼昭和20年30年代日本中がみんな横並びのくらしで、衣食住や優れた文明機器がない生活であった。そんな日常生活の中で、母や祖母は家族のために新しい日々の幸せと感動を見出そうとしたのが我々の先祖であった▼正月は、日常見慣れてはいないが、見えないものを、知らぬ美しいモノに気づく365日分の1日である▼大晦日から元旦に変わった時から正月固有の静粛な空気が漂う。この空気を胸に刻み込みながら、会員並びに御家族の健康が珠玉の恵みになることを、お祈り申し上げます。このコラムを御覧頂きますことを望外の喜びとしています。

(H27・12月記 日本エッセイスト倶楽部会員 R・T)

2015年12月28日月曜日

のんちゃんの あの人はいま ⑬ ~島田(田賀屋)夙生さん~



「田賀屋狂言会」を立ち上げた

島田(田賀屋)夙生さん(69才)
二〇〇五年(平成17年)退職

2015.10.28 自宅訪問(野田雄一郎)






10月28日、別府啓介さん(平成19年退職)と笠岡市西大島の島田さんのお宅を訪問しました。

10年ほど前、「グループホームみたけ」を開設したと聞きおじゃまして以来です。

今回訪問すると、隣に小規模多機能型居宅介護事業所「あんしん多機能ホーム」が増設されて

いました。両ホームとも、長男ご夫婦で運営されているそうです。


[野田]          
今日は、スペインに一緒に行かれた別府さんに同行してもらいました。

島田さんは、県庁に入ってから狂言を始められたそうですが、そのきっかけを教えて下さい。


[島田]          
狂言をやろうという気持ちは全くありませんでした。私は25歳の時に県庁に入りました。

29歳、住宅課にいた時に、黒住隆さんに誘われて謡を習いました。

発表会に出ている時、ある人から、あんたは狂言に向いていると言われ、岡山に出稽古に

来られていた12世茂山千五郎(人間国宝四世千作)さんに入門しました。34歳の時です。

狂言は私からやろうと思って始めたわけではないのですが、誘われて出会った先生が偉大な人でした。

狂言「棒しばり」

[野田]          
ところで「田賀屋」を名乗られておられますが、その経緯を教えて下さい。


[島田]          
平成元年に43歳で師匠の勧めでプロになりました。

プロ登録をして(公社)能楽協会に入会しました。そうするとギャラをもらうようになりました。

そこで、我が家に代々伝わる屋号をステージ名として名乗ることにしました。

本家が造酒屋で、分家がそれぞれ屋号を名乗っていました。

1810年ごろの分家で、もともと田賀屋という屋号で、私が6代目です。

平成2年に師範披露狂言会を県立美術館ホールでやりました。

それ以降は、田賀屋狂言会として発表会をしてきました。


[別府]           
お弟子さんもおられると聞いていますが。


[島田]          
最初に岡山に教室を開きましたが、高齢者の人ばかりでした。

平成7年頃から若い弟子ができました。

岡山市北公民館で、平均20人(延べ100人)ほどを教えてきました。

今は倉敷と玉野にも教室を持っています。現在、弟子は30人ほどです。


[野田]          
次男さんが狂言をされていると聞きましたが。


[島田]          
島田洋海(ひろみ)です。13世千五郎の内弟子となり、先年修行を終えました。

私とともに茂山千五郎一門の一員として活動しています。


[別府]           
いろんなところに行かれており大変お忙しいと思いますが、特にトレーニングはされてるんですか。


[島田]          
私は稽古が嫌いです。お弟子さんに教える。学校で教える。

自分でしてみせて、習わせる。これが私の稽古です。稽古のための稽古はしません。

小・中学校に教えに行っていますが、大きな口を開けて声を出すように指導しますと、

1時間もすると大きな声が出るようになります。

今年は、真庭市の6校と、笠岡市の4校、さらに岡山県文化連盟の依頼で毎年10校ほど出前講座に

行っています。文化庁の事業にも2校行きました。

神鳴(かみなり)


[野田]          
毎日忙しくされていますね。


[島田]          
予定の入っていない週はありません。

先日は鳥取公演に行ってきました。9月には京都公演にも行きました。


[野田]          
私たち後輩に対して何か伝えたいことはありませんか。


[島田]          
特にありません。思うままにやられたらいいと思います。


[野田]          
何かモットーはお持ちですか。


[島田]          
モットーの無いのがモットーです。

人間は目標を持たないと、人を引っ張っていけません。

狂言は、自分の会を作って、自分でやることができます。

自分が主役をすることができる、狂言の良いところです。装束や面もほとんど買い揃えています。


[別府]           
ところで狂言はいつまで続けられるんですか。


[島田]          
狂言は、私のライフ・ワークです。声が出る限り、身体が動く限り続けていこうと思っています。



※島田さんは海外公演を6回開催されています。
  4月23日の退職者会総会後に海外公演のエピソードをお話ししていただくことになりました。

  
アイルランド公演チラシ
ブラジル公演チラシ

ジャパンフェスティバル


*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*

2016年公演情報

1月2日(土)11:30~12:30 新春祝賀狂言(後楽園能舞台)
                                        福の神(田賀屋) ワンコイン奉納(要入園料)
                                   後楽園で採れたもち米で作った紅白餅が振る舞われます

1月28日(木)18:30~      新春狂言福来たる(岡山市民会館)
                                    靭猿ほか、野村萬斎、茂山千五郎 5,600円

3月2日(水)10:30~12:00 後楽園開園記念狂言(後楽園能舞台)
                                         新作狂言「シーボルト(仮称)」「千鳥」「盆山」「腰祈」 
                                         入場無料来観歓迎

3月26日(土)13:30~15:00  はやしま狂言会(早島町ゆるびの舎)
                                        狂言ワークショップ+狂言「蚊相撲」「棒しばり」

*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*


狂言師 田賀屋夙生の履歴()


岡山県笠岡市出身  1946年生まれ
1971年 横浜国立大学経済学部卒業
現在、社団法人能楽協会会員、能楽大蔵流狂言方師範

【芸歴(修行歴)】
1980年 大蔵流狂言・四世茂山千作師(人間国宝)に師事
1989年 (公社)能楽協会会員、大蔵流狂言師範となる 田賀屋狂言会を主宰
1990年 師範披露狂言会で 重習「三番三(さんばそう)」を披(ひら)く
1996年 秘曲「釣狐(つりぎつね)」を披く
1996年から毎年1回自主公演「稀曲大曲を観る会」を開催
2006年 秘曲「花子(はなご)」を披く

【海外公演】
2002年 アイルランド(ダブリン、ゴールウエイ)公演(国際交流基金助成事業)
2007年 3月オーストラリア・タスマニア公演、6月スペイン3都市公演(  同上  )
2012年 7月ブラジル サンパウロ公演(国際交流基金主催事業)

【講師歴等】
93年から05年まで岡山県芸術祭賞(現・岡山芸術文化賞)の選考委員を勤める
2001年 岡山大学文学部(演劇学特講)の非常勤講師を勤める

【受賞歴】
2002年 福武文化奨励賞受賞
2008年 岡山芸術文化賞<功労賞>受賞
2011年 笠岡市文化の日記念表彰(旧笠岡市文化賞)受賞

2015年12月17日木曜日

安倍晴明伝説を巡り歩く旅

岡山県浅口市には安倍晴明伝説があります。

退職者会の史跡巡りの企画をするため事務局長の野田と

岡谷県本部の西江さんと2人で2015年12月16日に現地を見に

行きました。

どうしても行きたい場所は、鴨方町阿部山にあるという

「安倍晴明屋敷跡と安倍晴明顕彰碑」

金光町占見にあるという「安倍晴明の墓」

晴明のライバル「芦屋道満の墓」

「道満池の坊主岩」「鬼の手形岩」です。

最初に、「かもがた町家公園」に行きました。山陽道鴨方インターから5分ほどのところにあります。

この公園は、日本の歴史公園100選の一つです。
公園の中核となる町家「伝承館(旧高戸家住宅)」は、1687年に修理をした岡山県下で最も古い貴重な民家で、「岡山県重要文化財」に指定されています。駐車場・トイレ・土産物屋が整備されています。ビデオコーナーがあり、鴨方の歴史が学べます。

公園を出て、遥照山の方に行くと、天文台に行く途中の左側に林道の表示があります。
この林道は最近整備されたもののようで、道幅も広くきれいでした。
林道を渡り終えると、遙照山から阿部山の出ました。狭い道を5分ほど車を走らせると
安倍晴明の碑という古い木の看板が右手にあります。車は3台ほど置けます。
狭い山道を200メートルほど登って行くと「安倍晴明の碑」「安倍晴明屋敷跡」の表示がありました。

そこには、「安倍晴明が天体観測をしたあと」「安倍晴明の屋敷跡」がありきれいに掃除がしてありました。少し離れたところに「安倍晴明の碑」がありました。確かに安倍晴明がここに住んでいたんだなと実感しました。
阿部山の名前は、晴明の「あべ」に由来するといわれています。

阿部山を杉谷池の方から下って行き、山陽道に並走している裏道を通り、金光町の円山公園
に行きました。安倍晴明の墓がこの近くにあるとの情報と駐車場・トイレが整備されています。
円山公園は、広い敷地内に大きい池と桜、子供の遊び場、散策をする人で桜の時期は賑わうそううです。歩いている人に晴明の墓の場所を教えてもらいました。ここから金光駅に近い所です。

円山公園から金光駅の方に車を5分ほど走らせると、中高一貫教育の金光学園があります。
金光学園の正面をさらに北に向かい狭い路地をぬけると池にでます。
この池の土手に20台ほど車を置ける所があります。ここは遥照山登山口になっています。
ここに車を置いて遥照山に登るのです。また、金光学園の生徒は、ここから走って遥照山の
学園のグラウンドまで行くそうです。金光学園の野球部は毎年、甲子園の手前までいっています。

ここから先は道に迷い大変でした。池の辺りを遥照山の方に歩いて行くと、旧登山道の表示がありました。狭い道です。行けども行けども狭い山道で、何もありませんでした。途中でこれはおかしいと思い、元の登山口まで戻ると、用水に沿って新しい登山道がありました。その先に、鬼の手形岩の表示を見つけました。

少し歩くと左側の山の上に「鬼の手形岩」がありました。さらに先に行きましたが、安倍晴明の墓の表示がありません。これは違うとまた元の登山道に引き返しました。

通りすがりの人に聞きながら、何度も道に迷いながら、山の中の別の池に出ました。
その池は道満池だそうです。「道満池の坊主岩」の看板を見た時は感動しました。

池の先は行き止まりでした。また、登山道の入口まで帰りました。

また、通りすがりの人に聞きながら、旧登山道から少し左の方に町の方向、駅の方向に
行ったところに「芦屋道満」の墓を見つけました。そこから100メートルほど離れたところの
民家のすぐとなりについに「安倍晴明の墓」を見つけました。

当初行きたかったところはすべて行けました。「わからない時は地元の人に聞け」
これが今回の教訓です。迷ったら元に戻れは大原則でしょう。

安倍晴明の屋敷跡

屋敷跡のまわりの景色

阿部山の頂上にあった看板

安倍晴明が天体観測をした跡

安倍晴明顕彰碑




やっと看板を見つけた



鬼の手形岩

道満池の坊主岩


芦屋道満の墓


安倍晴明の墓