2023年9月26日火曜日

終活のすすめ31回 「死化粧を通じて想う」

 


 社会福祉士(エンディングソーシャルワーカー)

    終活カウンセラー 上級         

                川上 恵美子




私は御葬儀の中で死化粧(エンゼルケア)を行っています。

「死化粧」とは必ずしも化粧を施すことだけが目的ではなく、お身体を清め、故人様の尊厳を守りながら『その人らしさ』を大切に身だしなみを整える事です

様々な形で大切な人との別れは訪れます。最後のひと時、ご家族の記憶にある安らかな故人様と心置きなくお別れをして頂く時間を作りたいといつも思っています。

 現在コロナ禍において、病院や施設での面会制限があり看取り迄の時間を 

ゆっくり過ごすことが出来ないのが現状です。

私はお手伝いをさせて頂く際に可能な限り、ご家族から故人様のお人柄や  好み、ご職業や思い出などを教えて頂く様にしています。

『お父さんは髪の分け目こだわっていたよね』

『お母さんはこの口紅気に入っていたよね』

などと聞くと、ご家族に整髪やお化粧をして頂くこともあります。また最期に  治療でむくんでしまったりしているのを気にされている時は『ハンドマッサージで  楽になってもらいましょう』とお願いすることもあります。

 以前、お母さまを事故で亡くなれた娘様が、「御葬儀はごく親しい身内で送る」との事でしたが、生前のお話を伺いながらお支度を整えさせて頂いたお姿を前にされると、涙を流しながら「母に会ってほしい方を呼んでもいいですか」と仰られ、「母もみんなに会えて、私も色々な話が聞けてよかったです」と喜んで頂けました。

どんなに技術があったとしても、「その人らしさ」とはご家族の記憶の中にあります。常にお話を聞きながら、ご家族中心に後悔のないお見送りをサポートし続ける事ができる様に一人ひとり丁寧に寄り添っていきたいと思っています。

 最後の表情にその方の「生き様」が見えます。いつも笑顔で過ごしていた人。照れ屋だけど家族思いの人。一家の大黒柱で頼りになる人。家族の事を一番大切にしていた人。皆を愛し、皆からも愛された人。

生前の故人様の事を、遺された人が私に教えてくれるから知り得ることです。

 「人は必ずいつかは亡くなります」

生きているからこそできる事が沢山あります。自分にとって何が大切であるかを今一度考えてみてはいかがでしょうか。あなたの最期の表情が「あなたらしく」ある為にこれからの毎日を、大切な人達と笑顔で過ごして頂ければ嬉しい 限りです。

2023年9月22日金曜日

第6回 瀬戸内三十三観音霊場めぐり

 

9月16日、第6回瀬戸内三十三観音霊場巡りに行って来ました。                                                                                                                                                                               

前回までに30カ寺を巡っており、今回は、残りの3カ寺で尾道市の向島、因島です。

最初のお寺は第25番札所神宮寺です。

神宮寺は、尾道市の向島町にあり、ご本尊は千手観世音菩薩です。因島村上水軍の岡島城主、村上吉満が城を去るとき、守り本尊の千手観音を神宮寺に安置し、後に本尊となったとされています。


次のお寺は第27番札所観音寺です。

観音寺は、因島三庄町にあります。この寺は、山腹にあるため500mほど歩いての参拝となりました。ご本尊の聖観世音菩薩は、弘法大師因島を御巡化のみぎり造り給いしと伝えられています。

また、江戸時代には飢饉対策として重要な食材の甘藷の栽培が盛んだったそうで、その豊作をご本尊に祈ったことから「いも観音」と言われています。








最後は、因島南部の土生町にある第26番札所對潮院です。

ご本尊は、如意輪観音で高さは光背・台座を含めて約60cm多くの御仏に守られ厨子に収められて本堂に安置されています。ここでは、本堂で勤行させていただきました。

また、對潮院は、せとうち七福神の第3番霊場として弁財天を奉じていて、弁舌・音楽・財福・知恵などの神として多くの人に信仰されています。



瀬戸内三十三観音霊場巡りは、2018年10月13日赤穂市の花岳寺から始め、西へ西へと巡ってきました。途中、コロナウイルス感染症が猛威を振るい中断もあり5年の歳月を費やしました。この間、病気で体調を崩された方、他の行事と重なって参加できなった方などがおられ、33カ寺全てを参拝できた人は数人となりました。参拝できなかったお寺は、また都合の良い時、参拝して頂ければと思っています。

2023年9月1日金曜日

自治退岡山県本部学習会「大久野島」

8月25日、自治退岡山県本部役員交流学習会で大久野島遺跡めぐりに行きました。

大久野島では、1929年から終戦まで陸軍の毒ガス工場が設置され、毒ガスを製造していました。1932年頃からは秘密の島として、地図からも消されていたそうです。

現地では、平和学習ガイドの山内正之さんの説明を受けながら約2時間、毒ガス資料館・障害死没者慰霊碑・発電場跡等を見学しました。

慰霊碑の横には、亡くなられた毒ガス障害者の思いが刻まれた石碑がありました。碑には、宣言として次のように刻まれています。

宣        言

化学兵器は無差別かつ広範囲に人間を殺りくすることでは核兵器・生物兵器と同じであるから、ただちに廃絶されなければならない。

ここ大久野島には、かって東京第二陸軍造兵廠忠海製造所があり、国際条約で禁止された毒ガスを密かに製造していた。事情を知らされることなく働いていた行員・徴用工・学徒・勤労奉仕ほかの人々は、働いているときはもとより、仕事をやめた後も呼吸器などの毒ガス障害に悩まされ、癌の恐怖におびえた毎日を送っている。死没者はすでに千名を超えたが、その多くは毒ガス障害の解明のため身をささげ、国からの救済の道を開くべく、その礎となった人々である。

ここに毒ガスによる死没者の冥福を祈って慰霊碑を建立し、再びこのような不幸なことを繰り返さないよう広く世界に警告する。

昭和60年5月12日                 竹原市長  森川繁嘉