2021年11月18日木曜日

連合岡山退職者連合「山登り」

 11月14日(日)、総社市にある「幸山・福山城址」山登りが開催されました。

 10時30分、総社市の「清音ふるさとふれあい広場」に集合し、山田会長のあいさつの後18名が幸山をめざして出発しました。山道は階段に整備されたカ所や足元の悪い所がありましたが、ゆっくり登って行き11時過ぎ最初の目的地である幸山城址(こうざんじょうし)へ到着しました。

この幸山城址は、鎌倉時代の後半に庄左衛門四郎資房が築いたとされている。備中松山城主三村元親と毛利氏との間で起こった備中兵乱では時の城主石川久式は義理の兄弟にあたる三村氏を擁護したが、松山城が落城し久式も自害した。その後、幸山城は小早川隆景に与えられ、江戸時代初めに廃城となったそうです。

5分ほど休憩し、次の目的地福山城址へ向け出発しました。山道をしばらく進むと、最後は急な階段が続いていました。途中で休憩しながら頂上を目指して前進です。そして、12時前に頂上の福山城址へ到着です。

福山城址は、「太平記」に描かれた福山合戦の舞台となった場所です。京都の戦いで敗れた足利尊氏は九州で勢力を盛り返し、再び京の都を目指し攻め上ってきました。後醍醐天皇方の新田義貞軍の武将大井田氏経は、これを阻止するため福山を占拠し、新田軍1500騎と30万の足利軍が、この地で3日間にわたる激しい攻防を展開しました。福山は古代の山岳仏教寺院があり、この寺が砦として利用されたとみられます。

ここで30分程昼食休憩し、下山を開始しました。道は雨水で洗われ石が出ており、足元に注意しながらの下山です。30分程で途中、八畳岩へ到着しました。たまたま、ここを管理されている方にお会いでき説明を受けることが出来ました。この岩には毘沙門天が祀られており勝負事に利益ありとして崇められており、加藤勝信衆議院議員も参拝されているとのことでした。

そして、13時半過ぎには全員が下山し、無事、山登りを終えることが出来ました。